1999年(平成11年)9月1日号

No.83

銀座一丁目新聞

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茶説

独断こそ危機管理能力だ

牧念人 悠々

 91日は防災の日。「備えあれば憂いなし」というが、大地震が起きた際、どうか?。神戸大地震(平成7117日、正式には兵庫南部地震という)の直後,枕もとに非常食,懐中電灯、下着などをリュックに入れておいた。いまや物置の中である。

 兵庫南部地震では、死者6308人、家屋損壊105564棟、被害総額10兆円をこえた。それなのに、人間は忘れっぽい。

 8月におきたトルコ大地震の死者は推定4万人をこえるという。

 地震は,起きる時刻、規模、家屋の状況などによって被害の大きさはさまざまであろう。しかし、起きたら、大きな被害を与えるのは間違いない。自分を守るものは自分しかない。その場で,一番適切であると思える避難行動をとるほかあるまい。

 危機管理能力とは、個人であれ、企業人であれ、役所であれ、その場、その場で、誠実に処置し行動することである。

 個人であれば、火の始末をする。当座の身の回りの物を持って広域避難場所へ行く……と書いてみたが、地震の状況は千差万別であって、マニュアル通りにはいかない。自分で判断するほかあるまい。

 東京・府中市に住む筆者は、歩いて5分たらずの東京農工大学が避難場所と定められている。倒壊をまぬがれたら、とりあえず、そこまで避難しようと思っている。

 死者9万1千余人、倒壊,焼失家屋13万5千戸を出した関東大地震(大正1291日午前11時5844秒)の際、本所、被服廠に避難した4万人が避難者の荷物などに飛び火したことから焼死した。予想外のことが起きるのが災害である。生きるか死ぬか運に左右されることが多い。

 トルコ地震では,救助活動が遅すぎるというので、3人の知事が責任をとらされた。

 日本の場合も余り期待できそうにない。神戸地震の場合をみてもわかる。いち早く救助の声をあげた外国の災害救助部隊の来日を一時拒否したり、また、外国救助隊の捜索犬の入国を法律をたてにストップさせたりしている。

 また、付近の陸上自衛隊が万一に備えて、待機していたのにかかわらず、出動命令がなかなか下りなかったという話もある。

 地震は異常時である。こと人命に関しては緊急を要する。杓子定規に事を処する場合ではない。

 旧陸軍の作戦要務令には「およそ兵戦のことたる、独断を要するもの頗る多し。独断はその精神において決して服従と相互するものに非ず。常に上官の意図を明察し、大局を判断して、状況の変化に応じ、自らその目的を達し得べき最良の方法をえらびて、機宜を制せざるべからず」とある。

 独断は、危機管理能力のひとつである。

 家が倒壊し、肉身が傷つき、血が流れ、あたり一面が火の海となった時、人間はどれだけの判断を下せるのか。自信はない。しかし、自然の猛威の前に、茫然自失するのはいやだ。やるべきことはやろう。

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