1999年(平成11年)6月20日

No.77

銀座一丁目新聞

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八月のクリスマス

otake.jpg (8731 バイト)大竹 洋子

監 督 ホ・ジノ
脚 本 オ・スンウク、シン・ドンファン、ホ・ジノ
撮 影 ユ・ヨンギル
音 楽 チョ・ソンウ
美 術 キム・ジンハン
出 演

ハン・ソッキュ、シム・ウナ、
シン・グ、イ・ハンウィほか

1998年/韓国映画/カラー/ヴィスタサイズ/ドルビーステレオデジタル/97分

 この映画をなんと表現すればよいのだろう。いい古された言葉ではあるけれど、初々しい、珠玉のような作品である。そして、アジアでなければ多分生まれない映画でもある。ちょうどその頃、私は連日、フランス映画の新作をみていた。次から次へとめまぐるしく画面が変わり、人間関係も変わる。女は男を、男は女を取っかえ引っかえ物色し、毎日が不幸で仕方ないが、それは誰か別の人のせいで、決して自分が悪いわけではない。そんな映画ばかりみていた私に、「八月のクリスマス」はどんなに新鮮な感情をよびおこしてくれたことか。

 ジョンウォンは、ソウルの町中で写真店を経営している。30歳を過ぎ、眼鏡をかけ、ごく普通の風貌をしたもの静かな青年である。記念写真を撮りにくる大家族、学校の集合写真の中の、好きな女の子のところを拡大してくれと頼みにくる近所の小学生たち、誰に対してもジョンウォンは誠実で親切だ。ある夏の日、若い女性が店にとびこんできた。駐車違反の取締員タリムが、違反車の証拠写真の現像を頼みにきたのである。今すぐ、大至急といいたてるタリムの強引さに、ジョンウォンは思わず笑ってしまった。

 その日から、タリムは毎日やってきた。とりとめもないおしゃべりをしたり、アイスクリームを半分ずつ食べたり。タリムはジョンウォンを“おじさん”と呼ぶ。だいぶ年が離れているこのカップルは、互いにかけがえのない存在になりつつあった。しかし、ジョンウォンには秘密があった。彼は不治の病に蝕まれていて、この世にいられる時間はほんの僅かしか残っていないのだ。タリムにそれを打ち明けることなく、やがて店先からジョンウォンの姿が消えた――。

 ジョンウォン役のハン・ソッキュは、韓国一の人気スターである。彼が出演する映画はことごとく大ヒットだというが、とりたててハンサムではない彼のその笑顔のやさしいこと。こんな素敵な笑顔を私はみたことがない。そしてタリムを演じるシム・ウナはとびきり清純で愛らしく、この映画のあと、世界中から出演の申し込みがあったという話が、充分にうなずける。

 母はすでに亡く、ジョンウォンは父と暮らしている。父も、結婚した妹も、ジョンウォンの運命を知っているけれど、口には出さない。兄と妹が縁側で西瓜を食べるシーンが私は好きだ。二人は競争で、西瓜の種をペッと庭にとばす。笑いさざめくなかに、兄妹のしみじみとした愛と悲しみがにじみ出る。父はビデオのリモコン操作ができない。アボジ、一人でやらなきゃ駄目だよと、ジョンウォンは根気よく父に教えるが、ふと思いついて、箇条書にきすることにした。1、カセットを入れる。2、ビデオのボタンを押す……。

 それからジョンウォンは、現像の方法や機器の扱い方なども丁寧に書き残した。万年筆を洗ってインクを入れ替え、そしてジョンウォンはタリムに宛てて手紙を書く。だがその手紙は投函されることなく、ジョンウォンの文箱の中に収められた。季節はめぐり、冷たい霙の降る冬へと移り過ぎる頃、ジョンウォンの店のショーウインドーに、大きく引き伸ばされたタリムのにっこり笑った肖像写真が飾られた。

 この映画には伏線がうまく使われている。冒頭、盛装した老女が、お葬式用の写真を撮りにくる。ジョンウォンの指示で、おばあさんは少し首を傾け、ちょっと笑った。ラスト近く、自分の葬儀用にとセルフタイマーを押したジョンウォンは、あのおばあさんと同じ表情をみせる。夜道を歩きながらジョンウォンはおかしな怪談、亡霊の話をタリムにきかせる。タリムはそっとジョンウォンの腕にすがる。後になり、夜半の雷が恐ろしくなって父の布団にもぐりこむジョンウォン。水の使い方も印象に残る。店のガラス戸を洗うジョンウォンのホースの水の向こうに、かって彼のもとを去った昔の恋人がいたり、タリムとジョンウォンの束の間の幸せを、雨の舗道を相合傘で歩くシーンで表現したりする。

 映画が上映される前に、監督のホ・ジノさんの挨拶をきいた。長身で35歳、これがデビュー作になるジノさんは、「こんなに沢山のお客様を前にとても興奮しています。でも一方では心配で心配でドキドキしています」といった。さっきロードショーされる劇場を見に行ったけれど、その時もドキドキして仕方がなかったと、今にも消えいりそうな風情だった。「八月のクリスマス」は、ジノ監督をそのまま映し出していたのである。

 「わが国では誰もとりあげなかった愛のテーマを、慎み深く描いた宝石のような作品。急いで見に行くことをお薦めする」と評したのは、フランスの新聞フィガロである。フランスだけではない。このような映画は日本でも当分生まれそうもないから、ぜひみてくださいと、私もお薦めする。

新宿シネマスクエアとうきゅう(0332021189)で上映中

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