井口民樹(作家) |
阪神タイガ−スと連れ添うようになって、ついに半世紀が経過した。
いまのカミさんと一緒になってほどなく、ラジオにかじりつく私に向かって、彼女がわめいたことがある。
「私と阪神と、どっちが大切なのよ!」
私は厳粛にこう宣告した。
「これだけは言っておく。どっちか二者択一だというなら、ぼくは迷わず阪神を取る。阪神との付き合いのほうが、はるかに長く、深いんだからな」
なにせこっちは、若林監督の時代からタイガースに入れあげて来ているんだ。
そりゃあ、こんな“性悪女”と手を切りたいと何度思ったか知れやしない。だが、かつては藤村富美男に憧れ、村山や江夏からは巨人完封の醍醐味を味合わせてもらった。バース、掛布、岡田の三連発に狂喜した日のことは生涯忘れられない。いま、どんなに貧打に喘いでいても、藪や湯舟が打ち込まれても、長年苦楽をともにしてきた阪神を、なんで見捨てることが出来よう。
阪神を応援することは、人生修養なのだ。こうも愛する者から裏切られ続けると、単細胞の巨人フアンなんかと違って、屈折を楽しむ余裕が生まれる。人間が成長します。
毎年、ゴールデンウイークの前後には、人前では「もうぼくの野球シーズンは終わりましたよ」などと言ってみせるが、勝率4割を切る秋冷の候でも、こっそり神宮球場(わが“東京タイガース”のホームグラウンド!)へ応援に出かけたりする。
そのかわり、今年のように「阪神、頑張ってますね」とおだてられても、ゆめ調子に乗らない。「いやいや、今に指定席の最下位に落ち着きますよ」と、おっとり頬笑む。で、独りになるとテレビの前で、「新庄、頼むぅ!」と絶叫するのだ。これが異郷に生きるタイガースファンの、正しい応援の仕方なのです。