「ピースメーカー」

大竹 洋子

監  督 ミミ・レダー
脚  本 マイケル・シーファー
撮  影 ディートリッヒ・ローマン
衣裳デザイン シェリー・コマロフ
音  楽 ハンス・ジマー
出  演 ジョージ・クルーニー、ニコール・キッドマン、
 マーセル・ユーレス、
 アーミン・ミューラー=スタールほか

ドリームワークス映画提供/UIP配給
1997年アメリカ映画/カラー/ドルビー/124分

 世界中の「核」は全てコントロールされているはずだった……とキャチコピーにうたうアメリカのハイテク・サスペンス・アクション映画、「ピースメーカー」を見にいったのは、女性監督ミミ・レダーの名にひかれたからである。ミミ・レダー。いまNHKでも放映されているアメリカの人気テレビドラマ「ER/緊急救命室」の演出家チームの一人で、ドラマの中でプレイボーイの小児科医を演じているジョージ・クルーニーともども、「ピースメーカー」の製作陣に引き抜かれた。

 物語はこうである。世界の戦略兵器削減条約に従って、各地で核兵器の解体が行われることになった。ロシアのミサイル基地でも、破棄処分にするため10発の核弾頭が貨物列車に積みこまれた。だが、核は1頭を残して何者かに盗まれ、列車は爆発、あたり一面を死の灰が覆う。核はイランに持ち運ばれるのだろうか。これを追ってアメリカの二人の男と女がチームを組み、活動を開始する。ジョージ・クルーニー扮する国防総省のデヴォー大佐と、ニコール・キッドマンが演じる核兵器密輸対策チームの責任者、ケリー博士である。

 核を盗んだのはロシアの将校ゴドロフとその一味だった。デヴォーの命がけの追跡でゴドロフらは全滅し、危機一髪で核弾頭は回収された。だが、一発足りない。どうしたのだろう。一味の中にまぎれこんでいたボスニアの青年ヴラドーが、コアだけはずして持ち去っていたのである。ヴラドーはボスニア民族の無念の想いを一身に背負っていた。

 祖国に戻ったヴラドーは、コアを入れたバッグを兄のデューサンに渡す。外交官で、ピアニストでもあるデューサンはニューヨークへと向かう。彼には目的があった。ピースメーカー、"平和の使者"の名のもとに、世界の民族紛争に介入する者への復讐を行うのだ。いま核は、歴史に深く傷つけられた弱者の凶器になっていた――。

 女性が社会のあらゆる分野に進出してもらいたいという私たちの願いは、映画の世界でも叶えられつつある。女性監督はアメリカにも数多く存在している。しかしハリウッドでは、商業的に成功しなければどんなにすぐれた作品であろうと問題外という"碇"がある。そういう世界に背を向けて、コツコツと地味な作品を撮りつづけている女性監督たち、決して暴力的な映画には加担しない人々を、私は支持する者である。

 だが、「ピースメーカー」を見て、ハリウッドの商業映画界にも女性が必要であることを、私は知った。莫大な製作費をつかい、大スターを起用し、追いつ追われつの派手なアクション、乱射されるガン、度重なるカーチェースが画面を占めても、映画の基本となるものは人命の尊重であった。すべてはそこから始まり、そこで終わった。

 一つ一つの場面をチェックしてゆけば、女性監督の視点は明らかであろう。残酷なシーンをアップには決してせず、大量殺戮の場面も、周辺の描写で想像させるにとどめる。実戦に慣れない女性は、歴戦の男性に遅れをとるが、二人のあいだにロマンスはなく、唐突なベッドシーンもない。テロリストと化したデューサンは、サラエボで妻と娘を殺されていた。その絶望的な叫びは私の心をゆさぶる。ニコール・キッドマンはこれまでのどの作品よりしゃきっと美しく、ジョージ・クルーニーは押しは強くてもギラギラしない。

 ニューヨーク市民を救うために、デューサンは追いつめられてゆくが、追う者と追われる者の間にある矛盾を、監督は提示する。監督自身その矛盾をかかえながら、それを無理矢理こじつけることなく、現実の世界とはこのようなものであることを観客に知らせるのである。ボスニア、ロシア、ウラル山脈、ウィーン、トルコ、サラエボ、ニューヨークと舞台はめまぐるしく移る。どの土地の風景もそこに暮らす人々を写し出して、心にしみる。

 そして最後のシーン。マンハッタンの教会で、爆発のタイムスイッチをセットしたまま、デューサンは自らの頭を拳銃で打ち抜く。ここからがケリーの出番である。核の専門家のケリーは、これまで勉強してきたことを一つ一つ思い起こしながら、タイムスイッチを解除してゆく。傍らでデヴォーがカウントダウンをする。あわやというところで必死の努力がみのる。デヴォーは昇進し、ケリーはプールで泳いでいる。ビールを飲みにいこうとデヴォーが誘いにくるが、あと10往復しないと今日のノルマが終わらない、とケリーはいう。デヴォーはプールサイドで待っている。ケリーはゆっくりターンする。

 サラエボを、物語の進行のカギに利用したことについては、後日とりあげる予定のボスニア映画「パーフェクト・サークル」でふれようと思う。

 全国で上映中。

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