連載小説
ヒマラヤの虹(3)
峰森 友人

 翌日出発予定十五分前の午後零時四十五分、エベレスト・エアの乗客は国内線ターミナルから約百メートル離れた駐機場のソ連製大型ヘリコプターに案内された。両サイドの窓際にスチール製の座席が六つずつ並んでいる。中央のスチール製の低いテーブルに慶太のスポーツバッグとバックパックが他の荷物と重なり合うように無造作に置かれている。空港のはるか彼方に白いヒマラヤの一角が見える。いよいよポカラだ。慶太は、自分にトレッキングを熱心に勧めたマデュカールの人なつっこい丸顔を思い出していた。マデュカールと会うのは前年夏の出張以来のことである。

 カトマンズとその西二百キロにあるポカラとのちょうど中間あたりで、稜線上に雪煙を巻き上げているマナスルがくっきりと見えた。マナスルを過ぎると、すぐ行く手にアンナプルナ連峰が近付いてきた。白い巨大な屏風を立てたような山塊もあれば、ゆったりと首を持ち上げたような山容の峰もある。低地に一番近い所に見えるのがマチャプチャレだ。

 ポカラから見るマチャプチャレは、三角錐を天に突き立てたような姿をしている。神々しいという言葉がどの山よりもぴったりで、この聖なる姿の純潔を永遠に守るべく、マチャプチャレは処女峰のまま登山禁止にされた。一九五七年頂上直下まで迫った英国登山隊が登頂を断念してまもなくのことである。今慶太の目に映るマチャプチャレは、さながら白いドレスに身を包んだヒマラヤのプリンセスという趣があった。

 百年近く前日本人として初めて鎖国下のネパールに足を踏み入れた求道僧は野越え山越え十日間かけてカトマンズからポカラにたどり着いた。今慶太の飛行はわずか三十分だった。ポカラ空港に降りたヘリコプターから出て、改札口を兼ねた平屋の事務所棟に向かって歩いて行く慶太に、聞き覚えのある声が飛んできた。マデュカールだ。眼鏡の顔をにこにこさせて、事務所わきで手を振っている。カトマンズの大学を出た後カリフォルニア大学で修士号を取り、国連の衛生技官としてもう一人の医師と共にポカラに駐在、家族計画や母子保健の指導に当たっている。三十四歳の誠実さに満ちた模範的な国連現地職員だった。

 マデュカールは空港の敷地内まで入ってきて、慶太の右肩のバックパックを取ると、

 「ようこそ、ようこそ。ともかくも私の事務所へ行って明日からのスケジュールを確認して、その後でホテルへお送りしましょう」

 と迎えた。

 慶太の他に十人いた乗客は荷物を受け取ると次々事務所から姿を消した。最後になった慶太はスポーツバッグを受け取ると、バックパックを持ったマデュカールの後について、空港敷地に停めてある四輪駆動車に向かうため建物を出た。その時何気なく隣のネパール航空の小さな建物の前を見た慶太は一瞬息をのみ、我が目を疑った。

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