銀座一丁目新聞

茶説

学者の文章の引用に注意を払うべし

 牧念人 悠々

友人の霜田昭治君から4月21日の朝日新聞の「天声人語」について興味ある「片瀬山通信」をいただいた(4月22日)。その「天声人語」には『▼政治学者の石田雄氏が1930年代の小学校のことを書いている。学校に配属されている将校から「あそこに国賊が住んでいるから毎日にらんで通れ」と朝礼で言われたという。軍部が非難の矛先を向けている学者の家だった(「私にとっての憲法」)』とある。

「私にとっての憲法」は岩波書店編集部が2017年4月21日第1刷発行を発行した本。様々なジャンルで活躍する53人の発言をまとめたもの。石田雄氏のタイトルは「二つの憲法危機を体験して」でる。天声人語が引用した個所を見ると『1935年(注・昭和10年)のある日、小学校5年生であった私は朝礼に際し配属将校が壇上から校門の方を指さし、「あそこに国賊が住んでいるから毎日にらんで通れ」と叫んだのに驚かされた。校門の隣には、当時在郷軍人会などから天皇機関説の提唱者と非難されていた憲法学者美濃部達吉が住んでいた』とある。出来事は昭和10年で筆者の石田氏が小学校5年生の時である。読者には戦前、日本では小学生にも軍事訓練を施していたかという印象を与えかねない。この時代、中学校以上の学校には配属将校が配属されていたが小学校に派遣されていなかった。大正14年4月11日(勅令135号)「陸軍現役将校配属令」が出された。この年から官立、公立の師範学校、中学校、実業学校、高等学校、専門学校、大学予科、専門学校、高等師範学校等では男子生徒に教練を教えるために陸軍現役将校を配属することが決まった。霜田君が在学した芝中学校には大学出の配属将校と准尉の教官二人がおられたという。私が在学した大連2中には少尉候補生出身の少佐と中尉の配属将校がおられた。沖縄戦で自決された牛島満大将(陸士20期)は少佐の時(昭和6年)鹿児島2中の配属将校になっている。18期の藤江啓輔大将も砲兵大佐の時(昭和4年6月)京都帝大の配属将校を命ぜられている。当時京大はマルクス経済学の河上肇教授の下、左翼学生運動の全盛期であった。2年間無事大任を果たされた。陸軍が学校教練に力を入れたのは事実である。

実は石田雄氏が通っていた学校は全国でも4校しかない私立の7年制(尋常科4年+高等科3年)旧制高校であった。当時は一度、尋常科に入学すれば帝国大学への進学が保証された。だから小学校の高学年であれば配属将校に接する機会があっても何の不思議もないだろう。それにしても天声人語は説明不足である。読者にいらぬ誤解を与える。

美濃部達吉博士の「天皇は国家最高の機関なり」という学説が問題になったのは昭和10年の岡田啓介内閣の時である。軍部や右翼から「わが国体に反するから一掃すべし」と非難された。その年の4月7日に不敬罪で告発され9日にその著書が発禁になった。寺崎英成御用掛日記『昭和天皇独白録』(文芸春秋)によれば「国家を人体にたとえ天皇は脳髄であり、機関という代わりに器官という文字を用ふればわが国体との関係は少しも差し支えないかと本荘(繁)武官長に話して真崎(甚三郎・教育総監)に伝えさしたことがある」と昭和天皇の御考えが出ている。この天皇機関説をめぐる国体論争は後を引き、ついに2・26事件となった。

4月20日「銀座展望台」に書いた。『日米首脳会談の成果は米朝首脳会談にかかっている。決裂すれば北朝鮮の核廃絶も拉致問題も解決しない。北朝鮮が核を手放すとは私にはどうしても思えない。賢明な独裁国家の最高責任者であれば、国民のために放棄するであろうが「国家は力なり」を信奉すれば無理であろう。
「兵は百年の大計」。これをおろそかにしているのは日本である。自衛隊が軍隊であるのに未だ自衛隊と言っている。憲法9条で集団的自衛権行使に歯止めをかけている。また徒に「戦闘地域」という言葉を嫌う。この怠慢は政治家が負べきであろう。自衛隊の3等空佐が「国民の敵だ」といった気持がよくわかる。
「自分の国は自分で守る」気概を失った国は滅びる』。

私も天声人語と同じく「国賊」「非国民」という言葉は嫌いだ、使いたくない言葉である。だがそういいたくなる自衛隊員の気持ちも察すべきではないか。憲法9条の枠内で国際協力と平和維持のために海外に派遣される自衛隊員の事を考えてやれ。派遣される地域は非戦闘地に見えてもいつ情勢が悪化するかわからない。想定外のことが起きるのが派遣される地域である。それに縛りをかけるのは非常識である。それを今まで政治がしてきたのだ。戦争をするのではない。平和維持のために集団的自衛権を行使するのだ。その実態を知れば「安保関連法案」に反対する理由はないはずである。一国だけで自分の国を守れる時代は去った。国際協調の時代である。自衛隊員は今なお初代統幕会議議長林敬三陸将が座右の銘とした「大いなる精神は静かに忍耐する」をかみしめなければならないのか。あえていう。「天声人語」を嫌うことなく反面教師とすべきであろうと…。