銀座一丁目新聞

花ある風景(666)

並木 徹

日本現代工芸美術展を見る

第57回日本現代工芸美術展を見る(4月19日・東京上野・東京都美術館)。ほぼ満員の盛況であった。展示品576点、第1室から第8室に展示される。工芸作品は陶磁、金属、木、ガラス、紙、人形、漆、染織である。今年も4人の作家が新人賞に選ばれた。私は我が家の只一人の芸術家彰子さんが染織で新人賞(第52回工芸美術展『波上の輝き』)をいただいてからこの工芸美術展を見に来ている。いつも出品の多さにびっくりする。日本は匠の国だと思う。

入り口で出品目録をいただく。ページをめくるも彰子さんの名前が見つからない。壁にアイウエオ順の作者名を書いた案内がないかと見渡したがなかった。先日、東京・六本木の国立新美術館で開かれた友人の絵の展覧会ではその案内があった。眼鏡をかけてよく見ると、第3室であった。57点の作品が並ぶ。一目で分かった。彼女の作品には特徴がある。それとなくただよう「品格」である。タイトルは「雲流」(染織)。しばしたたずむ。身びいきではなくいい作品だ。見る人へ響くものがある。力強さがある。「工芸品も人なり」である。作品にその人の人柄が如実に表現される。新人賞の作品からこれまで波のイメージがあったので少し驚いた。春の雲はとどまる。夏の雲は悠然と浮かぶ。"流れる“とは動きがあるのを意味するのだろう。何故か、晩唐の女流詩人魚玄機(843-868)の「送別」の詩を思い出した。

「秦楼 幾夜 心 期に愜う(かなう)
料(はか)らざりき仙郎 別離あらんとは
睡(ねむ)り覚めて言うこと莫し 雲去りし処
残灯一酸 野蛾飛ぶ」
(村松映さんの訳「共に住んだ秦楼で、心満ちたあの幾夜。そのあなたが離れ去ろうなどとは思ってもみませんでした。甘い眠りから覚めては、どこへ行かれたのか伺う言葉もありません。消え残った灯に、野の蛾が飛んで身を焼かれようとしています」)

ここで言う「雲去りし処」の雲は雲雨を指す。男女の契りを意味する。題が「雲流」である以上。流れる雲の行き先が気にかかる。それは見る人に判断次第であろう。3月31日に頂いた手紙には手を痛めた様子でやっと作品が完成した。御主人と岡崎と有松の両家の御墓りに出かけたいと記してあった。3月31日の花は「アマナ」(ユリ科)。花言葉は『運が向いてくる』。歌人鳥海昭子さんは詠う。「一輪のアマナの花くわえたる使者めく鳥が飛び立ちゆけり」

信心深い彰子さん一家に幸運が舞い込んでくることであろう。美術とは人に様々な知的好奇心を呼び起こしてくれる。まことにありがたい。