銀座一丁目新聞

花ある風景(660)

並木 徹

毎日新聞OB同人誌『ゆうLUCKペン』刊行パーティを開く

毎日新聞OB同人誌『ゆうLUCKペン』(第40集)の刊行パーティが開かれた(2月26日。東京一ツ橋・パレスサイドビル・レストラン・アラスカ)。今回は同人原田三朗君が昨年12月なくなったのでその偲ぶ会を兼ねた。出席者は50人を数えた。テーマは「名言名文句…残しておきたい言葉」。29人が執筆。いずれも面白く興味あるものばかりであった。この本を読んでいると今更のように毎日新聞には素晴らしい人材がたくさんいたということを知る。

乾杯の音頭をとったのは名文家と知られる今吉賢一郎君であった。始めて本誌に「歩いて引っ越せます」と洒脱な文章を書いた。彼は挨拶の中で『よく元気をもらいましたというが元気は出すものである』と昨今の日本人が次第にちじこまっているような気がすると述べた。同感だ。

亡くなった原田三朗君は入先の病院の一室で「握りつぶしたライシャワー事件の特ダネ」を書いた。昭和39年3月24日に起きた少年によるエドウィン・ライシャワー駐日アメリカ大使殺傷事件秘話である。少年は事件2日前、アメリカ大使館の敷地に入ろうとしてパトロール中の警官に捕まっている。その時、母親の取り調べ調書に「息子は刃物を持ち歩くのが好きで2日前にも3丁のナイフを持っていた」供述されている。これがそのまま報道されれば凶器を見過ごした警察の失態として警視総監以下の幹部の責任が問われる。そこでその調書を5、6人の刑事を動員して改ざんしたというのだ。

原田君はそのことを動員された懇意の刑事から聞いた。だが調べればネタ元がばれる上、影響するところが大きいと考え書かなかった。新聞記者は知ったことをすべて書くものではない。原田君の一面を知った思いであった。

もう一人感動したのは斎藤文男さんの文章であった。斉藤さんは南京大学で12年間「日語作文」、「日本時事」、「貿易日語」「当代日本社会問題」などを担当、教師として勤めた。彼は授業を通じて中国人の学生に「よい学生」になるより「よい人間」になりたいといわしめる講義をしたという。「花の色はその季節に飛んでくる昆虫が見える色に合わせて開花する」などと雑談で話をした。雑談こそ人を磨き、大きくするものである。

後書きに諸岡達一君が書く『「ゆうLUCKぺん」は日本人が育んできた「知的」で「優雅」にして「余員」を残す言葉でつづられている』。私は挨拶の中で「昔デスクから芥川賞作品を讀めと薦められたが、昨今は芥川賞作品より『ゆうLUCKペン」を読むべきだ」と強調した。