銀座一丁目新聞

茶説

翻訳には誤訳が伴うものなのか

 牧念人 悠々

最近、友人の霜田昭治君から本の誤訳に関する一文をいただいた。米国外交官ヘンリー・キッシンジャー(1923年5月27日生れ))の著作WORLD ORDER(国際秩序)」の邦訳1版1刷に某著名人の品格に関わる誤訳があったというのである。発刊後三か月も経たないうちに増刷された1版4刷では直されているが、1刷を購入した人たちには勿論知らされていない。企業でも製品に重大な欠陥があればリコール制度があるように出版物にも誤訳などの不備がある場合にはリコール制度があってもおかしくないと意見が加えられていた。全く同感だがいずれにしても翻訳は難しい。意訳しなければ通じない場合もある。

そこで思い出した。同時通訳者として著名な鳥飼玖美子さんに「歴史をかえた誤訳」(新潮文庫・平成23年3月20日発行・6刷)という興味ある本がある。「外交上の誤訳とされるもの、コミュケーションの失敗例とされるものはいくつかある」としてその中で「最たるものはポツダム宣言に対する日本側の回答『黙殺』とあるのをIGNOREとしたことであろう」と書いている。原爆投下はたった一語の誤訳が原因であったとしている。せめて『GIVE IT THE SILENT TREATMENT』しておいたらよかったなどと記述している。“一語の誤訳”が30万人の命を奪ってしまったのだから恐ろしい。

意地悪く私の好きな万葉集の翻訳を見てみる。別に誤訳の例としてあげるわけではない。万葉集に出てくる柿本人麻呂の歌「淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思はゆ」(巻3・266)である。

リービ英雄著『英語で読む万葉』(岩波文庫・2004年=平成9年11月19日1刷)には
「PLOVER SKIMMING EVENINNG WAVES
ON THE OMI SEA
WHEN YOU CRY
SO MY HEART TRAILS
PLIANTLY
DOWN TO THE PAST」
と訳されている。

問題は『夕波千鳥』。人麻呂の絶妙の造語を英語でどのように表現するかである。

「PLOVER SKIMMING]では「近江の湖の夕波の上を群れ飛ぶ千鳥よ」という感じが出てこない。千鳥が水面を飛ぶ様子しか見えない。私はあえて「PLOVERS GROUPINNG」と群れ飛ぶ雰囲気を出したい。名訳を紹介する。「ハムレット」第3幕第一場。「TO BE, OR NOT TO BE, THAT IS THE QUESTION.}を小田島雄志さんは「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳した。シェクスピアの中でももっとも有名なこの一行は「生きるべきか、死にべきか」「生か、死か」などと訳されてきた。小田島訳には深みがある。それにしても翻訳は難しいものだと思わざるを得ない。

霜田昭治君の教訓は「翻訳の初版本はリスクが大きいと知るべし」であった。