銀座一丁目新聞

追悼録(663)

柳路夫

同期生小滝誠君を偲ぶ

同期生小滝誠君が亡くなった(1月16日)彼は本科では区隊は違ったが同じ中隊であった。当時、有名であった“がらまさ”区助の下でおおいにしごかれた同期生であった。同じ区隊の安田新一君は次のように回想する。「小滝は広島幼年の修身の教官の息子。母上も教育者で謹厳実直な男であった。戦後自衛隊に入り、富士学校の教官の時、毎夏に彼の紹介で富士学校の近くの自衛隊の寮に家族で泊まらせてもらった。彼が東京出張のときは小生の西荻の家に泊まりにきていた。あるときは富士学校へ家族と義父母を連れて見学した時、義父を戦車にのせてくれ大感激していたのを覚えている。自衛隊退職後セントラル警備会社の役員になり、その後はご夫婦で、悠々自適、故郷の南房総で農業を営み、ある時1m四方くらいの木箱一杯素晴らしい丹精したパセリを送ってくれた」という。

彼が化学学校副校長の時、オウム真理教によるサリン事件が起きた(平成7年=1995年3月20日)。千葉59会の勉強会で小滝君からサリン事件での防疫班活の話を聞いた。オウム真理教が東京の地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線で通勤・通学ラッシュ時にサリンを撒いて死者13人、負傷者6300人が出た惨事であった。

世界に与えた影響は大ききものがあった。米国はオウム真理教をテロ集団に認定した。中国の軍事家は今後、国家対国家の戦争が起こりにくく、テログループ対国の戦争が起こるとして「限定戦争」論を打ち出した。日本の対応が一番なまぬるかった.オウム真理教団を解散処分もせず『用警戒団体』と指定したに過ぎなかった。 聞けば、陸上自衛隊化学学校の活躍は鮮やかであった。地下鉄サリン事件前に起きた松本でサリン事件、オウム教団の重要施設が密集する山梨県の上九一色村で、異臭騒ぎで現場の土壌を分析し、同一のサリンであることを突き止め、警視庁に連絡している。

地下鉄サリン事件では自衛隊化学学校から化学防護隊が出動した。猛毒サリンの除染作業が完了した時、現場指揮官が自ら防毒マスクをとり、床を手で触ってサリンの除去を確認したという。もしサリンが残留していたら、命に関わる。その責任感は見事であったと小滝君は言っていた。世間に知られざるエピソードである。