銀座一丁目新聞

追悼録(654)

柳路夫

寺田寅彦忌に思う

12月31日は「寅彦忌」である。理学士・随筆家寺田寅彦さんは昭和10年のこの日に亡くなった。享年58歳。墓は高知県王子谷墓地にある。寺田さんは「天災は忘れたころにやってくる」で有名だが、こんなことも言っている。「大正12年のような地震が、いつかはおそらく数十年後には再び東京を見舞うだろうということは、期待する方がしないよりも、より多く合理的である」。とすれば、昨今のように次から次とやってくる地震を見れば関東地方は要警戒だ。いつ地震が起きてもおかしくない。

寺田さんの父親は軍人で明治10年の西南の役に従軍、最後は陸軍士官学校の会計部長で退職する。本人は高知県立一中から熊本の5高に進む。此処で夏目漱石に俳句を学ぶ。東大物理科へ。卒業後東大の教授となる。関東大地震が起きた時、45歳。各地の被害調査にあたる。

神奈川県秦野の南方に関東地震で山崩れによってできた池「震生湖」見物した際に詠んだ俳句がある。

「山裂けて成しける池や水すまし」

「穂芒や地震(ない)に裂けたる山の腹」(昭和5年10月「渋柿」)

私が好きなのは次の句である。

「客観のコーヒー主観の新酒哉」

凡人には「客観のコーヒー」という言葉は思い浮かばない。すごい人である。

寺田さんには「珈琲哲学序説」(昭和8年)という本がある。それによれば「コーヒーの味はコーヒーによって呼び出された幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏必要であるらしい」。またいう。「コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ていると考えられる」

私はコーヒーを毎日5、6杯飲むが、朝のコーヒーはココナツオイルを匙でたらし米ぬかを少々入れて飲む。健康の為である。後は頭をすっきりさせるためである。原稿を書くスピードがやや速くなる効能がある。

まことにウイットに富んだ方であった。

「ダンテはいつまでも大詩人として尊敬されるだろう。…だれも詠む人がいないから」と、意地悪いヴォルテーアが言った。ゴーホやゴーガンもいつまでも崇拝されるだろう…誰にも彼らの絵が分かるはずがないからである。(大正10年5月、「渋柿」)。このような文章を読むと、嬉しくなるし楽しくなる。

寺田さんはまれに見る哲学者のような気がする。

「哲学も科学も寒き嚔哉」

こんな言葉がある。「最後の一歩というのが実はそれまでの千万歩より幾層倍難しいという場面が何事によらずしばしばある」(「自由画稿」昭和10年)。

何事にも最後の局面がある。手を抜くと大失敗をする。記者時代多くの事件を手がけてきたので痛いほどわかる。人生でもそれは言える。最後の一歩が近づいてきているからそれを如何に迎えるか実に難しい。

「われ知らず最後の一歩冬日和」悠々