銀座一丁目新聞

追悼録(653)

柳路夫

同期生今村明君を偲ぶ

同期生今村明君が亡くなった(10月2日・享年93歳)。今村君は書をよくし、全国大会、首都圏大会ごとに会場演壇の真正面に飾る「59期生大会」の文字を墨痕鮮やか書いていただいた。仕上げるには和紙に5、6枚書き、気に入ったものを選んだと聞いた。「千葉59会」の世話を川井孝輔君(会長)らとしており、折に触れて交流があった。「千葉59会」では常磐沿線有志懇談会を年に2回開いて懇親を深めていた時期があった。私は平成11年4月17日「取材した事件について」講演した。それが縁でこの会には府中から毎回参加した。

手元にある「千葉59会だより」(200号記念増刊・平成16年8月29日発刊)に今村君の一文『心の指針』が掲載れているので紹介しながら彼を偲びたい。

『人生は出合いであり、旅や思い出であって幸不幸は心づかいの累積の結果であるという。私は過去を顧みると、苦難の道が少なくなかったが、「ツキ」の人生であったと感謝している。これまで心の根底には陸士魂があり、培われたプライドがあると思うのである』

彼もまた士官候補生の矜持を胸に秘めていたのだと思うと嬉しくなる。彼の文字には几帳面さと優しさがあった。

『青春時、あこがれの難関陸士に合格し、国に殉ずる気概を持って犠牲を覚悟の上で軍の楨幹を目指して受けた特訓は、今日に至っても心の躍動し、世の中のリーダーの心構えとして、自らの心の支えとなってきている』私は「ぶざまな死だけはしたくない」と振武台、相武台では死を考えた。作戦要務令は今でも愛用している。

『牧野校長の訓示「花も実もあり血も涙もある武士的情誼を持て」との言葉は、至誠、実行力、責任感とともに処世の指針として持ち続けてきた。犯罪者の続出、道徳心の低下、歴史認識の欠如等を見聞するにつけ、日本の将来を憂え切歯扼腕してもすでに80歳の坂にせまり、ただもどかしい今日この頃である(略)』

牧野校長の訓示は同期生みんな感銘した。私は「スポニチ登山学校」の校則の第3条に『常に情誼のあつい人間たれ』と入れた。今村君は気配りの人でもあった。「千葉59会だより」の平成14年7月・第175号に私が書いた同期生上野貞芳君(千葉県我孫子市在住)の父親、沖縄戦で戦死した上野貞臣少将(陸士30期)の「追悼録」(平成14年6月10日号)を取り上げ紹介してくれた。

『私は70歳になってから2回大病を患ったが、生きながらえることができた。今後は若干でも皆さん方のお役にたちたいと思うとともに、趣味の書道や思想善導に微力を捧げ子供らに「雄々しく勇ましい人生」であったといわれて大往生が出来たらと念じている』

この一文を書いてから13年後に彼は大往生を遂げた。心からご冥福をお祈りする。