銀座一丁目新聞

安全地帯(556)

信濃 太郎

権現山物語

戦後の同期生の生き方を示すためにこれまで荒木盛雄君、川井孝輔君の紀行文を紹介した。今回は安田新一君(ペンネーム湘南次郎)に登場していただこう。

南都変貌と大和長谷寺

湘南次郎

「やまとは国のまほろば、たたなずく うるわし」と歌われた南都奈良にあこがれたのは戦後間もない老生の若いころだった。こずかいをためては案内書を頼りに探訪した。戦中、陸軍士官学校在学中、幸いにも隊付勤務つまり実際の歩兵連隊へ派遣され兵と起居を共にして体験をする教育実習で、老生は歩兵科士官補生として京都歩兵第9連隊に隊付となった。当時制度が変わり引率の教官がついた。幸い6年先輩になるその方は訓練の名目でしばしば士官候補生を京都、奈良の古刹見物に連れって行ってくれた。もちろん山坂の駆け足が多かったが当時は老生もヤワではなかった。十分堪能することができた。

戦後、昭和30年を過ぎ世の中も落ちつき始めたころから老生の歴史探訪の趣味のムシが動き出した。新しく出たこだま号(新幹線ではない)の一番で行き終電で帰る、寝台車を利用するとか、これは後だが深夜バスを利用するとか忙しい仕事の合間を縫って出かけた。若いからできたのだろうが無我夢中の道楽だった。ある時は大雨のなか古墳の土手から滑り落ち危うく環濠に落ちかかったり、泊まっていたホテルのそばでヤクザが東京の親分と間違えあいさつされたり、線路に飛び出した人を近鉄の最前列の席でひかれるの見たこともあった。青壮年のころの思い出である。

本年10月末に何十年ぶりか、三泊で奈良を訪ねた。JRの寺院風の駅舎は、観光施設となり、後ろに新幹線の駅舎のような立派な建物へと変貌していた。近鉄奈良駅は地下にもぐってしまった。正面を通るかつての古色蒼然とした三条通りは、ほとんど建て替えられ普通の地方都市の繁華街に変貌していた。歩いている観光客や老生の泊まった駅前ホテルの半数以上は外国人だ。聖武天皇建立の東大寺大仏開眼法要の折に招へいされた、遠くシルクロードを通ってきた西域の人々の大量再来か?時移り、一帯一路、杖を突きベンチに座り込んで奇異のまなざしで見ていたおのれは時代に遅れた一介の老人に過ぎぬのか?

到着した日はあいにく台風の余波で大雨、駅前ホテルでよかった。面白い循環バスを見つけた。駅より西回り100円で法華寺、平城宮址方面を回る。東回り100円で東大寺・春日大社・奈良公園方面を回る。サワリを計200円でできるおすすめドライブだ。雨のなか、バス停の名前でかつて訪ねた地を想像して見るのが楽しかった。

初日はホテルの近所をぶらぶらしてしまい、正倉院展も割愛せざるを得なかったのは残念だったが、今回の旅行の本命は、二日目の大和長谷寺参詣にあった。今年の夏、本家の奥方が94才で大往生し、葬儀がかつて檀家総代をしていた東京都杉並区の慈恩山萩寺光明院で行われたが、その際、法要を行っていただいたのが住職の「田代弘興」導師であった。光明院は老生一族の菩提寺としてあがめられ、老生の両親も戒名をいただいている杉並区の名刹である。師は老生の日大二高の15年ほど後輩で、ご子息も卒業生であり縁人、知人の葬儀で時々お会いしたご縁があった。今回は、はるばる奈良からお出かけくださったとのことであった。法要後、奈良三泊旅行の話をしたところ、光栄にもぜひ立ち寄りのお誘いを受けた。早速プランを変更、おことばに甘んじることとなった。

師は昨年6月15日、全国3,000人の豊山派住職の推挙により奈良県にある西国33箇寺第8番札所、真言宗豊山派大本山長谷寺の87世化主(けしゅ)(大僧正)として入山された高僧である。寺の方々は「猊下」(げいか)(高僧に対する敬称)とお呼びする。ちなみに「弘興」というお名前は真言宗開祖弘法大師の「弘」と、豊山派の開祖興教大師の「興」よりいただいたそうで、化主は日大二高より大正大学卒業後、人形劇団をつくり布教につとめたという異才であった。杉並の光明院住職のかたわら府中刑務所教誨師のほか多くの要職を歴任された。性は豪放磊落(らいらく)、分け隔てなく、気さくで付き合いやすい明朗な方である。老生、足が悪いので、寺僧が車で近鉄長谷駅まで迎えに来ていただき、上の観音堂まで案内され、399の階段を登らず助かった。また、案内参詣後、化主ご自身、わざわざ寺務所の玄関まで迎えに出られご高配には恐縮の至りであった。

同寺は、高さ10.18mの右に錫杖、左に水瓶を持つ金色の木造十一面観音(国重文)をご本尊とする。続いて京都清水寺と同じ懸(かけ)造り舞台のある堂々とした本堂(国重文)のご本尊を参拝し、特別拝観のおみ足をなでてご縁を確かめ、幸せを祈る。老生、青春の思い出として、晩春に参詣の折、近くの室生寺のシャクナゲと対(つい)をなしている有名な登廊階段左右の150種7000株のボタンは見事であったが、今回は静かに晩秋の紅葉が塔頭を蔽うように錦織りなし、極楽浄土を思わせた。こもりくの初瀬(はせ)、本当の奈良大和(やまと)路が、以前と変わらずここにあったのがうれしかった。

寺務所では、田代化主がお元気に宗派統括の重責を全うされているお姿に接し、頼もしく感銘を深くした。また、老生がかつて事務長だった母校の話など懐かしく歓談し、辞すとき、おみやげまでいただき、記念撮影、玄関までお見送りくださり感謝感激、今後のご精進とご健康を祈りし、手を振り合い名残り惜しくお別れしたのだった。

  • 長谷寺本堂より五重塔の眺望
  • 田代弘興 化主(中央)
  • ライトアップの旧JR奈良駅舎