銀座一丁目新聞

花ある風景(647)

並木 徹

関晴子のリサイタルを聞く

関晴子さんのピアノリサイタルを聞く(10月18日・ルーテル市ヶ谷センター)。曲目は武満徹の「雨の樹 素描Ⅱ」-オリヴィェ・メシアンの追憶に―。から最後はバッハ(ブゾーニ編曲)「シャコンヌ ニ短調」まで五曲。グレーのドレスに身を包んだ関さんは静かな所作ながらも凛として鍵盤に舞う。70を超え思うところがあったのか調べはニ短調が軸に展開され、聞く人にはその心根が切々と響く。

雨だれに似た音で始まる「雨の樹 素描Ⅱ」は現代音楽を牽引した作曲家の一人オリヴィェ・メシアン(平成4年4月死去・享年83歳)のために武満徹が作曲。死んだその年の10月、国際音楽祭で演奏されたもの。昨年は関さんのリサイタルで寺内園生作曲のピアノ組曲『斑鳩』を聞いた。ピアノで聞いた斑鳩の鳴き声が忘れられない。バッハの「12の小前奏曲BWV9234~930,942~999」は心地よかった。

ベートーヴェンのソナタ第17番 二短調 作品31-2"テンペスト"のあまりにも幻想的な調べにいつの間にか夢の中に迷い込んだ。私の前に登場した関さんはつねにヴァイオリニスト・黒沼ユリ子さん(現在千葉御宿を拠点に活躍)の伴奏者であった。それが昭和50年代、博多の福銀ホールで開いた黒沼さんの演奏会で伴奏する関さんのピアの高音部の音の素晴らしさに初めて気が付いた。ベートーヴェンの強弱な音の巧みにさに酔う。再確認したのは東京。銀座の王子ホールでの関さんのピアノリサイタルであった。気が付けば第2楽章の緩やかなアダージョに代わっていた。旋律はあくまでも美しかった。黒沼さんより5歳年下の関さんは謙虚で控えめであった。いただいたプログラムには「過ぎ去ったすべてのことが走馬灯のように浮かんでは消え。・・・」とあった

ベートーヴェンが亡くなったのは1827年3月26日。この日ウイーンは雷鳴と豪雨であったという。

メシアン「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より。「★星のまなざし★私は眠っているが魂はめざめている」。メシアンは鳥類学者の肩書を持ち鳥の鳴き声を研究し音楽に取り入れているという。なるほど関さんがメシアンを演奏する理由が分かった。

最後にバッハ(ブゾーニ編曲)シャコンヌ ニ短調。瞑想して聞き入る。シャコンヌはスペインに起こった三拍子の古い舞踊である。私には戦いが終わって日が暮れた戦場が浮かんできた。「今荒城の夜半の月」の滝廉太郎の「荒城の月」の世界が似つかわしいかもしれない。「天上,影は変わらねど 栄枯は移る世の姿 写さんとてか、今もなお ああ、荒城の夜半の月」。ブゾーニ編曲の調べは心に沁みこんだ。

関さんが最後にこの曲を選んだ理由がわかるような気がする。

関さん。後方から見えない未来が追いかけてきて、大きなうねりに巻き込まれて消えてしまうのはまだ早や過ぎる。「音楽は言葉以上に人々に感動を与える」と「斑鳩」が鳴いているように私には感じられるが・・・