銀座一丁目新聞

追悼録(646)

白根邦男君を偲ぶ

毎日新聞の元大阪本社代表迫田太君が時々、メールを送ってくれる。このほど次のようなメールが送られてきた(9月17日)。『ご無沙汰していますが、お変わりなくお過ごしのご様子、何よりと存じます。8月27日に80歳で亡くなった白根邦男君の葬儀が昨日(9月15日)午後1時から福岡市中央区の積善社福岡斎場であり、参列しました。北村正任君や河野俊史スポーツニッポン社長、篠原治二・前西部毎友会長、修猷館高校で白根君と同期の山崎拓など約100人が参列、故人の在りし日を偲びました。心臓手術後、病院内で歩行リハビリを始めるところまで回復していたのに、急変したそうです。私が牧内さんの後任代表になってから篠原治二氏の後任編集局長になり、私のあとの西部代表でもありました。金田公団住宅の同じ棟に住んでいましたので、白根夫人運転の車に便乗して出社したこともよくありました。子供さんがなかったので喜久子夫人はとても寂しいだろうと推察しています。牧内さんが「銀座一丁目新聞」の2010年(平成22年)9月1日号の茶説に書かれた白根君が上西夫妻と屋久島登山をしたこと、私の心臓手術などの紙面をプリントして喜久子夫人に差し上げました。秘書課の反田(斉藤)淳子さんが娘にように喜久子夫人の世話をしてあげているようです。白根君の妹さん一家が喜久子夫人のマンションの隣り棟に住んでおられるそうで、葬儀の式場では夫人と並んで遺族席についておられました。香典は受け取らず、40基の供花が並び、立派な葬儀でした。ご報告まで。季節の変わり目ですのでご自愛ください』

迫田君とは私が昭和38年8月、大阪本社社会部のデスクになって以来のつきあいである。気配りのきく、温厚な紳士である。大坂代表の時、神戸大震災に遭遇、大変苦労をされた。いつまでも人と人の縁を大切にされる方である。

白根君の遺族に渡された平成22年9月1日号の本紙「茶説」は次の通りである。『85歳になった(8月31日)。朝6時、庭に水をまき少し草取りをする。前日、毎日新聞西部本社から毎友会の開催、物故社員追悼会の案内と共に「会員の近況」が送られてきた。近況を寄せた者125人(4月6日)。体調が悪い者もいるが返信を出すというのは元気な証拠である。西部本社代表を務めた白根邦男さんは「3月上西夫妻(もと西部本社代表)と屋久島に登山?に行きました」。同じく元代表の迫田太さんは「昨年8月心臓手術後、正常に戻り、元気にすごしております」とある。私は「天寿は 神のはからひ 春の夢」と書いた』

迫田君のメールに次のように返事のメールをした。「白根君の葬儀の模様お知らせいただいてありがとうございました。9月15日は元社会部長山本祐司君のお別れ会の呼びかけ人になっており参列できませんでした。その日越中島のスポニチに設けられた献花台に花を添えてきました」

白根君は私より11歳年下だが、東京本社社会部長は3代あとの社会部長。西部代表は1代あと。スポニチ社長も1代あとと私の後を追ってきた。それなのに私より先にあの世に逝ってしまった。
ご冥福をお祈りする。

「天寿は神のはからい秋の暮れ」悠々

(市ヶ谷 一郎)