銀座一丁目新聞

花ある風景(641)

並木 徹

部矢恵美子歌集「花を待つ」を読む

藍書房の小島弘子さんと渡辺ゆきえさんから部矢恵美子さんの歌集「花を待つ」(2017年7月1日発行)が送られてきた。装丁・目次の配列・カットまで神経が行き届いており次女部矢祥子さんを含めた編集者の丁寧な本づくりに感心した。

目次「麦秋」「ひと日のくらし」「花に憑かれて」「遠き日」「家族」「わが家」「峡」に収められた歌373首。いずれも心に響く歌ばかりであった。御主人の部矢敏三さん(平成22年1月16日死去・享年80歳)は元和歌山県花園村(現かつらぎ町)の村長で、私も2、3回お目にかかったことがある。「村がよくならなければ日本は駄目になる」と警鐘を鳴らしたおられた。

部矢さんが有名な歌人であるのは知っていたが夫人の恵美子さんも歌人とは知らなかった。御主人の歌「何も彼も山越えて来るわが村よたとえば鰯雲もあなたも」は後世に残る歌だと思う。二人で短歌の公募に応じて作品を出したところ夫人の作品が入選ということが何回かあったという。恵美子さんの歌で私の心に響いたのは「合歓の花炎のさまに咲き満ちし亡夫の永久のふるさと」である。亡き夫を詠んだ歌はいずれも心を打つ。

「高野山に花を献じて賜りし花園村の名こそゆかしき」。花園村には平成13年(2001年)2月、部矢村長が招いた「ふるさときゃらばん」のミュージカル「噂のフアミリー1億円の花婿」を見に訪れた。落ち着いた村であった。町村合併がその響きのよい名を無残にも消し去る。世は歌につれ歌は世につれ。歌は自然を読み世相を、人情の機微を伝える。「麦秋という美しき言の葉の死語となりたる峡に住み古る」テレビもネットも汚い言葉を生み、まきちらしてゆく。歌のみが“もののあわれ”を我々に示す。

「春風は時には無謀と思うまで庭の小でまり吹き曝し往く」
「てのひらに一ひらのせし迎春花まこと小さき春の耀い」

恵美子さんには花の歌が多い。花の好きな人は心優しく几帳面な人が少なくない。歌人鳥海昭子さんなら「花愛でること考えること生きること明日の陽の出は4時59分」(8月14日の日の出の時刻)と詠むであろう。恵美子さんは「悲しいこと、つらいことがあっても庭に出て花の前に佇めば花々からパワーをもらうことが出来ました」という。美枝子さんの歌の師匠・田林義信さんには「目に映る自然の風景をありのままに素直に詠むことを、ご主人からは「詠もうとする対象物を凝視すること」をそれぞれ教えられたという。その意味では恵美子さんの歌は素直で心優しいものが多く、どちらかというとご主人より田林さんの影響がより濃く出ている。

恵美子さんは短歌の行く末を心配しているが万葉集の時代から歌は盛衰を経て今日に来ている。日本の美しい自然の四季がある限り歌は詠み継がれてゆくであろう。恵美子さんが「藪椿つなぎて首にかけやりし面影残し子は嫁ぎけり」と詠った。自分の子供が子を生み、命を育くんでゆくように短歌も次の世代に伝えられ新しい歌が生まれ、詠まれてゆくものと思う。かって戦場に行く若者たちの中には『万葉集』を忍のばせたものが少なからずいた。こころある人にとって歌を詠むことは生きることなのである。

「峡の空茜に染めて暮れてゆく一日の悔いものみのむごとく」(部矢恵美子)