銀座一丁目新聞

追悼録(641)

小池俊夫君を偲ぶ

同期生小池俊夫君が亡くなった(7月17日。享年90歳)。本科では同じ中隊の隣の区隊にいた。五輪の会、世田谷会、権現山碑前祭、4木会などでよく顔を合わせた。大連2中時代の同級生・菊池普亮君とよく似ていたので何となく親しみを覚えた。菊池君は旧姓を小池といった。小池君に「大連にいた菊池という男を知らないか」と尋ねたぐらいである。4月20日に開かれた権現山碑前祭には初め出席の返事をいただいたのに4月初めごろ電話で「足を痛めたので欠席する」と言ってきた。これが彼の声を聞いた最後になってしまった。気配りの人であった。ある時、小池俊夫君から同期生の弁護士・鹿野琢見さんの長女・服部聖子さんが日経新聞に書いた記事(平成21年10月13日)を渡された。私は「夢二に魅了された亡き父」と題した記事を読んではじめて鹿野君の夢二に寄せる思いの深さを知った。今年の3月の五輪の会を4月1日号の「安全地帯」で取り上げた。この際、明治天皇の御製を紹介した。御製は3月の靖国神社拝殿の社頭掲示されたもので「ちよろづの神のみたまはとこしへにわが国民を守りますらむ」であった。初稿は「ちよろずの」としたのを発表前に「ちよろづの」と誤りを指摘してくれたのが小池君であった。細部にも目が行き届く小池君であった。多くの人が「ず」と「づ」の間違いをそのまま見逃してしまう。御製を間違えるなどあってはならないこと。早速、出席者全員に私から訂正原稿を配布し直した。

碁は同期生の中でも群を抜いていた。百田尚樹著『永遠のゼロ』(講談社文庫)に主人公宮部が艦隊司令部の月野少佐と対局、少佐から師匠の名を聞かれて「瀬越憲作に碁を教わった」という話が出てくる。瀬越憲作は呉清源の師匠である。その本を小池君にプレゼントすると、瀬越憲作と昭和24年ごろ手合せしたことがあり、その際「筋がよいからもっと勉強しなさい」と言われたという。瀬越 憲作といえば、1946年(昭和21年)から48年(昭和23年)に日本棋院理事長(名誉9段)を務め、囲碁普及に大きく貢献した人である。昭和47年7月、83歳でなくなっている。

川崎市で開かれた小池君の葬儀(7月20日)には同期生6人が参加した。心からご冥府をお祈りする。

(柳 路夫)