銀座一丁目新聞

花ある風景(637)

並木 徹

フジ子・ヘミングのピアノを聞く

同人雑誌「ゆうLUCKペン」第39集(2017年2月26日発刊)に遺言のつもりで次のように書いた。「死が通過駅とすれば派手な葬儀は必要ない。近者のみの葬儀がふさわしい。出来れば音楽を流してほしい。音楽はフジ子・ヘミング演奏の「リスト:ピアノ協奏曲第一番」と関晴子演奏の「寺内園生のピア組曲『斑鳩』がいい」と記した。それから4ヶ月10日後の7月5日夜、思いもかけずに上野の森でフジ子・ヘミングと対面した。手元にあるCD(2001年2月)にある彼女の写真よりはふけているが品格があってその挙措が可愛い。今宵もゴットハンドは健在であった。1400名の観客は惜しまない拍手を送った。

この夜上野の東京文化会館大ホールで開かれた「フジコ・ヘミングとハンブルク交響楽団」の演奏会に誘ってくれたのは友人の荒木盛雄君だ。それに霜田昭治君も一緒であった。指揮者はシュテファン・ザンデルリンク。創立は1957年。ドイツ・ハンブルグのムジークハレを拠点とする。はじめに序曲「エグモント」を演奏する。11曲あるベートーヴェンの序曲のうち最も知られた名曲。スペインの圧政から祖国を救おうとしてとらえられ処刑されたエグモント伯を奏でる。愛国の熱情が燃えるがごとく響く。ベートーベェン40歳の作品。モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番ハ長調K467」。ピアノと管弦楽の音の交換が絶妙。快く聞いた。管弦楽はピアノの調べを邪魔しないように奏でられていた。

リストの「ラ・カンパネラ」。この曲はフジ子・ヘミングの代名詞のようなもの。リストはその曲はあくまでも男性的と評される。炎のように燃え,氷のように冷静だという。プログラムでは「鳴り響く鐘の音を表現したこの曲では高い音域での輝かしい音色が特に印象的である」とあった。私はひたすら鍵盤に踊る彼女の白い手をみつめていた。白い手を見つめているうちに涙が出てきた。「道端でひろった傷つき汚れた小鳩を手当てしてオス猫と留守番させたら二人が静かに寄り添っていた」という彼女のエッセイを思い出したからである。

最後がベートーヴェンの「交響曲第5番ハ短調『運命』」「ダダダダーン」というこの出だしが「運命はかく扉を叩く」音だという。第1楽章 アレグロ・コン・プリオ。二つの音程と四つの音符からできている主題が1楽章だけで誰が数えか知らないが280回もある。この主題はいつ聞いてもいい。第二楽章 アンダンテ・コン・モト。甘美な旋律。瞑想のうちに聞く.第三楽章 アレグロ。重々しい太鼓の音は運命をはじきもどせるのか。落ち目の安倍晋三首相の姿を思う。第四楽章 アレグロ・ブレスト。全管弦楽が総動員される。高く鳴るトロンポーンは歓喜を示す。難聴に冒されながらベートーベンは「第五シンホニー」をつくる。時に38歳。運命と戦う人間の意志と魂を表現したという。この後すぐに対極的な交響曲「田園」(第6番ヘ長調K68番)が生まれた。「芸術は永遠にして人生は短い」(ベートーベン)と言うが「思いやりに包まれた芸術は永遠にして語り継がれてゆく」と付け加えたい。