銀座一丁目新聞

安全地帯(534)

川井孝輔

すみだ北斎美術館

「信州越後秘境秘湯紅葉大周遊」(平成18年11月から3日・阪急交通社によるバスツアー)を思い出す。清津峡の柱状節理・奥深い秋山郷の紅葉・尾瀬沼を水源とした日本でNo3の田子倉ダムを鑑賞して、最後を小布施遊覧で締めた旅行であった。其の時、北斎館並びに弟子に当たる高井鴻山の記念館を見学し、北斎の天井画で有名な岩松院等々を回ったものだ。残念乍ら肝心の「八方睨み鳳凰図」は見損なったが、葛飾北斎なる名前を確と頭に覚え込んだものである。勿論この小布施町の出身者としてであった。

処が昨年の11月28日、東京に「すみだ北斎美術館」が開館する事、そして北斎・本名中村時太郎は、1760年に江戸は葛飾郡本所割下水に生まれ、1849年浅草聖天町に在る遍照院境内の一隅で亡くなる、生粋の江戸っ子だったことを知った。これは絶対に見逃すわけには行かないと決めて居たものだが、混雑を避けた為、漸くこの8日に見学の機会を得た。場所は生誕地に近い両国の、国技館・江戸東京博物館に並んだ総武線沿いの緑町公園に在った。美術館は小規模ながら、白亜の近代的瀟洒な四階建である。今回は企画展として北斎美術を支える、ピーター・モースと楢崎宗重の二大コレクションであった。例によって館内は撮影禁止なので、専ら購入した図録とパソコンを頼りの説明になる。

兎に角、彼は奇人であり,変人であったようだ。人との付き合いもさること乍ら自由奔放で、画号を北斎・春朗・群馬亭等と30 囘も変えた事、生涯に93囘も引っ越しを繰り返したことからも良く窺える。然し18 才で浮世絵師・勝川春章の門下に入り、画道を志してからは、文字通りその道ひと筋に生涯を貫いた。前記岩松院の「八方睨み鳳凰図」は、死ぬ前87才時の作と云うから、まさに脱帽である。而も名高い赤富士「富嶽三十六景凱風快晴」の他、実に3万点もの作品を残し、「北斎漫画」を初めとする絵本・挿絵・版画・銅版画・ガラス絵・風景画等々、多彩な画才は驚異的である。だが、油絵だけは遂に夢を果たせなかったとあった。更には絵画技術の教育普及にも意を注ぎ、葛飾派の祖となってゴッホ等印象派画壇の芸術家を初め、工芸家・音楽家にも影響を与えたと言われる。1999年には、アメリカの雑誌「ライフ」の企画による「この1000年で最も重要な功績を残した世界の100人」で、日本人として只一人86 位にランクされた由。まさに芸術と共に生き、個人的には最高に幸せだったのではなかろうか。処が、あれだけ著名であり多作であったにしては、彼の手元に残された作品は、意外と少なかったようである。現に、すみだ北斎美術館での、常設展示室では意外に彼の作品が少ないのに驚いた。然し強力な支援者と云うべき、前記両人のお蔭で「すみだ北斎美術館」が開館する運びとなったのである。彼の作品が著名なだけに、東京国立博物館を初め公立・私立の美術館の他、個人並びに団体等々が夫々に収集して、世界に散在した結果と思われる。因みに、北斎美術館としては、国内で三つ目になるものが、島根県の津和野に在る。

日本美術史家の楢崎宗重(1904~2001)は、立正大学教授の傍ら「近世風俗画様式史の研究」に取り組み、1962年には日本浮世絵協会を設立して理事長を務めた。多数の著書の他、北斎の浮世絵他の美術品を多数収集していたが亡くなる前に約500 点のすべてを墨田区寄贈され、今はすみだ北斎美術館に保管されて居る。海外の浮世絵作品を調査して「在外秘法」として刊行した他、特に大著「北斎論」は北斎の研究分野で評価が高い由。墓所は北斎と同じ元浅草の誓教寺に在る。

ピーター・モース(1935~1993)は、著名な大森貝塚を発見したエドワード・モース(1838~1925)の子孫に当る。北斎の研究に努めると同時に、北斎の「諸国滝回り」の論文、「百人1首うばがゑとき」シリーズの著書等がある。北斎の個人収集家としては、世界最多最高のアメリカ人であったが、惜しむらくは平成5年1月、東武美術館での北斎展に来日中、突然倒れて亡くなられた。幸い収集した3000点に上る作品を、散逸させたくないと云う遺族の意向を尊重して、一括墨田区が購入して保管されている。モース氏は、画を愛する家系に生まれ、五歳の頃初めて北斎の作品をシカゴ美術館で観たと言っている。そして、日本語のわからないのに、北斎の作品を集める理由としては「偉大なる芸術は、言葉がなくても伝わる」を残した、と伝えられている。

北斎が、国内では中々認められなかった時代に、むしろ国外では早くから受け入れられたようだ。北斎の死後5年後に来航したペリーが、版本数冊を持ち帰ったと言われ、かのシーボルトも著作の中に、北斎の名前を明記して有ったという。館内を一巡して、展示作品について説明パンフレットの無いのが残念だが、モース氏の北斎図録は販売されてあった。従って添付の写真も筆者が図録から選んだ。最後の写真・「北斎仮宅の図」は、弟子の霜木為一が描いたものを、北斎マップからの転用だが、その部屋の様子を人形で展示されてあった。部屋の隅には丸めた紙屑が散らばり、雑然とした中で布団をかぶった北斎の持つ絵筆が、今にも動き出すようであり、それを見つめる画家の娘、お栄(号・応為)の異才な眼差しが、真に迫真的であった。


富嶽三十六景 甲州石班沢
本図は藍一色のグラデーションで表されている

牡丹に胡蝶
北斎は花鳥画を良く描いたが、これは保存状態も良く現在墨田区の指定有形文化財になっている


ピーター・モース

江戸八景 楢崎博士蔵

卯之方 東都方角 梅屋鋪之図

北斎の生誕地を示す案内板

すみだ北斎美術館がある緑町公園

須佐之男命厄神退治之図
展示室前に掲示されて在る。北斎86才の大作で向島の牛嶋神社に奉納されていがたが、関東大震災で焼失したものを、保存されていたモノクロ写真から復元した由である。

ボストン美術館は、日本美術品の保管数では全米一と展示室前のフロアーにて言われ、北斎の肉筆画・版画等1710 点を有している由。


東海道名所一覧

仮名手本忠臣蔵




北斎仮宅之図