銀座一丁目新聞

追悼録(621)

友人たちの夫人の死を悼む

年賀状の欠礼の挨拶状や寒中お見舞いをいただいて友人たちの夫人の死去をはじめて知る。連れ合いに食事・掃除・洗濯などすべてやってもらっている私など連れ合いがなくなることなど想像もできない。大正生まれの多い友人たちも私と大同小異と思う。その気持ち察するにあまりある。万年幹事をしていただいた大連の中学の友人などは何も手が付かず。「今後会合は出来ません」と言ってくる始末であった。そのような場合、私はイギリスの神学者ヘンリー・スコット・ホーラント(1847-1918)の詩を送ることにしている。イギリスでは故人をしのぶ場所で良く読まれているという。

一番『死は 特別なことでは ないのです。
私は ただ隅の部屋にそっと移っただけ。
私は私のまま、そしてあなたもあなたのまま。
私たちがかってお互いのことを感じていた そのままの関係です』

▲私の独りごと。「幽冥ことにす」と言うが、『隅のへやにいてくれるだけならよしとするか・・・』

二番『私のことを これまで通りの親しい名前で呼んでください
私に話しかけてください、いつもの通りの気楽な調子で。
あなたは 声の調子を変えたり、無理して厳粛にふるまったり
悲嘆に暮れたりはしないで下さい』

▲カール・ブッセ・訳上田敏「山のかなた」の歌を思い出す。
「山のあなたの空遠く
幸 住むと人のいふ
ああわれひとと尋めゆきて」

三番『私たちがちょっとした冗談に 共に楽しく いつも笑っていたように
どうぞ笑ってください。
人生を楽しんで、微笑んで、私のことを思って、私のために祈って下さい。
私の名前が 今まで通りのありふれた言葉の様に、皆で私のことを話して下さい。
私の名前が何の苦労もなく、少しの影もなく、あなたの口にのぼりますように』

▲「去る者日々に疎し」と言う。そんなことはない。楽しい思い出、つらい体験。材料には事欠かない。ともに笑いましょう。「笑う門に福来たる」”笑いの健康法“もある。

四番『人生の意味は
今と変わることはないのです。
人生はこれまでと同じなのです。
そしてこれからもまったく途切れることもなく続いていくのです。
私が見えなくなったからといって、
私が忘れ去られてしまうなんてことが なぜあるのでしょう』

▲「春望」
「国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じて花にも涙をそそぎ
別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火 三月に連なり
家書 万金にあたる
白頭掻けば更に短く
すべて簪に勝えざらんと欲す」
五番『私はあなたを待ち続けます。
どこかでとてもちかいところで、
すぐそこの角を曲がったところにいて、
だから
何も思い煩うことはないのです』 (訳・宮島瑞穂さん)

▲私の独り言。口を突いて出てくるのはこの詩である。
「君に勧む金屈巵
満酌 辞するを須いず
花発けば風雨多し
人生別離足る」
「人生別離足る」を「さよならだけが人生だ」と名訳されたのが作家の井伏鱒二さん。巡り合いの中で一番絆の深いのは夫婦であろう。妻を亡くした二人の友人とは暖かくなったら食事でもと誘ってある。

(柳 路夫)