銀座一丁目新聞

花ある風景(608)

並木 徹

岸辺幼稚園訪問記

訪れた岸辺幼稚園(園長・中島茂子さん・東京都渋谷区上原町2―37-13)で私たち3人は園児たちの「おはようございます」の歓声で迎えられた(9月16日)。このようなちびっこから歓迎を受けるのは初めて。私たちも挨拶した。朝10時。広々とした教室に園長先生、少し離れた隣に私たちが座った長椅子をかこんでコの形に園児たちが長椅子に座る。ここホールには紋付き袴姿の岸辺福男の肖像画(山本鼎作)が壁に飾られ、みんなを温かく見つめている。私たちの左側が4歳児、正面に3歳児、右側に5歳児達。ざっと80人を数える。

中島園長の祖父である教育者・岸辺福男さんを6月20日号の本紙で取り上げた。友人の霜田昭治君が岸辺さんの創立した神田神保町の東洋幼稚園の卒業生(昭和8年)であったからである。東洋幼稚園は戦時中に廃校になったがその伝統を受け継ぐ岸辺幼稚園をぜひとも訪れてみたいと思った。そこに思いもかけず友人の川井孝輔君が岸辺家とは親戚筋と分かり同行することになった。この朝。午前8時半、小田急代々木上原駅南口2に集合する。それぞれに久しぶりに通勤ラッシュに出合う。幼稚園には10分足らずで着く。霜田君は中島園長に東洋幼稚園の卒業写真をプレゼント。卒業記念にクラスで描いた図画の作品集も披露する。

ホールで朝の行事が始まる。溌剌とした幼児たちの所作に伝統が生きていた。格言の暗誦があった「小さい子を可愛がる強い子」「泣く子は弱い泣かない子は強い」・・・。目を閉じ懸命であった。各自が鼻をかみ次々に塵箱に入れる。昔よくいたはなたれは一人もいない。女の子と男の園児が代表して水の入ったコップをお盆に乗せ、こぼさないように園児たちの前をコの字型に静かに歩を進める。実に真剣な表情だ。

遊戯に移る。ピアノ伴奏は園長先生。鍵盤をたたく動きは若い。レコードの合わせ遊戯もある。バラバラに見えるが一定のリズムで体を動かしている。園児たちが思いのまま、自由自在に体を動かす。心にも頭にもよいのであろう。見ていて清々しい。

代々木上原にある岸辺幼稚園は第1回の卒業生を昭和4年に出す。それ以来岸辺福男さんの息子や娘や孫たちが幼稚園を守ってきた。建物は昨年、92年ぶりに建て替え、園舎も新しくなった。園庭の「鈴懸」(プラタナス)の巨木が目につく。樹齢100年に近い。神田にもある「愛全地蔵」が園庭の隅にあった。岸辺福男さんは地蔵を愛した。右手に錫杖を持ち左手に宝珠を持つ地蔵さまは難渋する子供を護り救うと信じられている。地蔵様を見ているとなんとなく岸辺福男さんと二重写しになる。その左に岸辺福男さんの胸像が並ぶ。その細面の顔は園長先生に受け継がれている。母親は岸辺さんの10番目の子供であった。昭和25年生まれの園長先生には祖父は甘く何でも聞いてくれたそうで、みんなが言う「怖い」一面は全くなかったという。

「三つ子の魂は百まで」と言う。わずかな時間であったが、この時期にしつけるべきはしつけ、音楽や集団の遊戯で感性を豊かにし友達とのふれあいを大切にする幼児教育の重要さをしみじみと知る。何か心が洗われる朝であった。