銀座一丁目新聞

花ある風景(607)

並木 徹

ロッキード事件をアメリカ側から見た資料を読む

朝日新聞編集委員・奥山俊宏著『秘密解除 ロッキード事件』-田中角栄はなぜアメリカに嫌われたか―(岩波書店・2016年8月15日第2冊発行)を読む。今年はロッキード事件で元首相田中角栄が逮捕されたから40年たつ。

元首相が金脈問題で失脚して2年後に何故、ロッキード疑惑が米国から持たされたのか、これまで米国が仕掛けた「謀略説」が飛び交った。その意味でこの本は興味深かった。

例えば毎日新聞の連載「核回廊を歩く 日本編」(2015年10月1日・13回目)に元首相秘書官であった小長啓一さん(84)が「フランスからの濃縮ウラン調達が米国の虎の尾を踏んだ。当時のキッシンジャー米国国務長官が後に中曾根さんに「あれはやり過ぎだ」と話していると、ロッキード事件の遠因を語っているという。さらに中曽根康弘元首相の本を引き合いに出して「国産石油、日の丸原油を採るといって(米国の)メジャーを刺激した。石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと推断している。田中元首相も評論家・田原総一郎が雑誌に寄稿した「アメリカの虎の尾踏んだ田中角栄」の論文を見て『平然と「そうだよ」』と言ったという(佐藤明子『私の中の田中角栄日記』より)。ロッキード事件をアメリカによる謀略だということを毎日新聞が出版した『20世紀事件史「歴史の現場」』(2000年6月)でも取り上げている。今年1月10日号本紙で謀略説を「私はこれすべて関係者の推論でしかない」と思っていると書いた。アメリカ側からの資料でも謀略説を肯定する資料はなかった。

著者はワシントンンDCにある米国立公文書館、カレッジパークの国立公文書館第2本館、アンアーバーノフォード大統領図書館、アトランタノカーター大統領図書館などの資料に当たり、関係者からの話も聞いた。それらを総合すると田中角栄の評判はあまりよくない。田中が首相に就任する1年前に在日米大使館から本国へ「契約業者とのつながりに由来するほのかな腐敗のオーラ」という懸念が伝えられている。キッシンジャー補佐官は田中首相を信用しておらず、嘘つきと思っている。その政権は短命とみていた。アメリカ側はむしろ米議会上院の多国籍企業小委員会が進めているロッキード社の他国での不正支払いに関係する政府高官(王族)の名前を伏せるよう努力すらしている。田中首相を失脚する陰謀など影すら見当たらない。著者は陰謀説の基となった根拠の一つなったロッキード社の資料の誤配事件をあげている。これとてあとで誤配でないことが分かっている。1975年9月15日のウォール・ストリートジャーナル紙がロッキード社の資料が誤ってチャーチ委員会に届けられたと報じた。資料には航空機売り込みのため日本の高官へのわいろや代理人への支払いなどが書かれている。意図的に誤配したとすれば謀略説も成り立つがこの記事は誤報であった。チャーチ委員会が適法な令状によってロッキード社に資料の提出を求めたものであった。

ロッキード社の航空機売り込み工作は日本以外にも多数の国が関わっているが事件として摘発したのは日本だけである。当時の三木武夫首相の側近・海部俊樹官房副長官(当時・のち首相)は「三木は日本の民主主義にとってロッキード事件のような疑惑は解いた方がいい。それによって壊れるような脆弱な民主主義ではないと確信していた」と著者に語っている(2010年1月22日)。1976年5月上旬、政界で三木おろしが始まった。毎日新聞は『ロッキード隠し』とみて5月19日から30日まで連日『ロッキード隠し反対』のキャンペーンを張った。社会部記者の良心と正義感をゆすぶられたからにほかならい。この時、電話帳から無作為に選んだ20人の「茶の間の声」も掲載された。市民の直観力は素晴らしいもので、おぞましく醜怪なものを、理屈抜きで醜怪だと感ずる感覚が市民に根付いていたことが分かるものであった.まさに三木首相が言った通りであった。事件に手をつけなかった他国と違って東京地検も同じ思いであったであろう。

ともかく、東京地検はチャーチ委員会で暴露される4年も前にロッキード社が日本への航空機の売り込みに暗躍していた事実を知っていた。タプロイド版4ページの日本報道新聞(月3回発行)が1972年(昭和47年)11月1日号で1面から3面を使って「ロキードスキャンダル」を報道しているからだ。 チャーチ委員会の情報がなくても東京地検は田中角栄元首相の捜査に乗り出していた。あえて言えばその情報は捜査へのきっかけを作ったに過ぎない。「秘密解除 ロッキード事件」は米国側の資料から謀略説を否定したと言える。新聞はあくまでも事実と現場を忘れてはなるまい。