銀座一丁目新聞

追悼録(604)

永六輔の「上を見いて歩こう」

「上を見て歩こう
なみだがこぼれないように
思い出す 春の日
一人ぼっちの夜」(作詞永六輔・作曲中村八大)

文句なくいい歌だ。昭和の名歌謡曲の一つである。歌手坂本九はこの歌でその名を永遠のものにした。毎日新聞の「毎日労組20年史」にこんな意外な記述がある。『昭和37年3月、任期が終わる解散会で組合の委員長増田滋が壇上でこのころ流行していた「上を向いて歩こう」を歌った。増田の頬から涙がポタポタ落ちていた。たまりかねた本部執行委員たちが壇上に上がり増田と肩を組みながら「なみだがこぼれないように…」。「委員長は孤独である」と後年、石綿清一はこう述懐した。増田の涙はなぜだったのだろうか』
恐らく会社の合理化攻勢の前に組合が無力であった挫折感が坂本九の歌を歌わせたと思う。

パソコンでこの歌を調べると、歌詞は、まさしく失恋の歌であるが、永自身はラジオで中村メイコに失恋したときの話だとも語っている。中村メイコは2015年2月20日放映のTBS「ゴロウ・デラックス」出演時に「当時永と神津善行と同等に付き合っていたが、永に神津と結婚することに決めたと伝えた際に永がポロポロと涙をこぼしたためどうしたら良いかわからなくなり、父親に電話で相談した所、『今日は上を向いて帰りなさい。涙がこぼれないように。そのくらい気の利いたことを言うんだぞ!』と言われ、そのまま言ったらあの方はそれを書いてお稼ぎになった」と語っている。

毎日新聞夕刊(7月19日)にも同じようなこと中村メイコ(82)が語っている。メイコの父親はユーモア作家の中村正常さん。とすれば歌は中村正常さんと永さんの合作ということになる。いつの時代でも人間失意の時、挫折の際、よい歌が生まれ、よい歌が歌われる。都・長安が破壊された時、杜甫が歌った「春望」を君知らずや…

至徳2年(757年)、杜甫46歳の作。
「国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を灌ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火 三月に連らなり
家書 万金に扺る
白頭 搔けば更に短かく
渾べて簪に勝えざらんと欲す」

永六輔。この歌を作詞した時、28歳。まさに青春時代。失意の時、よい歌が生まれる。
「上を見てあるこう
なみだがこぼれないように
泣きながら 歩く 一人ぼっちの夜」

多彩な人、永六輔逝く(7月7日)。享年83歳であった。

(柳 路夫)