銀座一丁目新聞

安全地帯(508)

信濃 太郎

中目黒の北野神社に参る

東京・中目黒の「キンケロシアター」の真向かいに北野神社があるのを知った(東京都目黒区青葉台1-16-2)。なぜこんなところにと疑問に思った。パソコンで調べると、上目黒村の農民秋元市郎兵衛が地中から菅公像を発掘し、これを崇祀したことに始まるといわれ、元中川修理太夫の抱屋敷内(西郷山公園)に祀られてきた。その後、明治13年に現在地に遷座したという。お参りした(7月17日)。私のほか誰もいなかった。祭神は学問の神様菅原道真。しばし頭を下げる。そばに稲荷神社もあった。

菅原道真は波乱の人生を送る。宇多天皇(59代)に仕え894年(寛平6年)遣唐使に任じられるもその廃止を建議。630年遣唐使を派遣してから264年。廃止がきまる。醍醐天皇(60代)のとき右大臣となったが901年(延喜1年)、左大臣藤平時平の讒言により大宰府に左遷され、配所で病没する。時に58歳であった。藤原時平の父親は,摂政・関白・太政大臣を務めた藤原基経である。時平は秀才の誉れ高く左大臣になったのは29歳であった。39歳で亡くなっている。配所で道真が詠んだ「東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」の歌はよく知られている。

いつの時代でも藤原時平はいる。光源氏も須磨に左遷されている。そこへ訪ねてきた友人左大臣家の三位中将。終夜眠らず語り合い盃を重ねる。歌うは『酔い悲しみ泪灌ぐ春杯裏』と『源氏物語』にある。白居易の詩である。 往事渺茫都似夢 往事は渺茫として都(すべ)て夢に似たり
舊遊零落半歸泉 旧遊は零落して半ば泉(せん)に帰(き)す
醉悲灑涙春杯裏 酔(ゑ)ひの悲しみ、涙をそそく春の盃(さかづき)のうち
吟苦支頤曉燭前 吟の苦しみ、頤(おとがひ)を支(ささ)ふ暁燭(げうしよく)の前

光源氏は詠む。
「故郷を何れの春か行きて見ん羨ましきは帰るかりがね」

宰相も詠む。
「飽かなくに雁の常世を立ち別れ花の都に道やまどはん」

在職時代、私も九州に7年半勤務した。後で聞けば3年を過ぎたころ大阪への話もあったと聞くが、讒言にあうほどの実力がなかったので人事の妙というほかない。お蔭で読書も出来たしよく勉強ができた。後刻、系列の会社に移った時、大いに役立った。

「故郷を何れの日にか還りなん唯ひたすらに今を楽しむ」悠々