銀座一丁目新聞

花ある風景(595)

並木徹

戸隠随想

晩春の10日間、長野の戸隠に遊ぶ(4月26日から5月7日)。白雲,悠然と流れ、風、木々を渡る。絶えずウグイの声を聞く。「うちのウグイスが鳴いているわ」とかみさんは言う。近くにねぐらがあるのかもしれない。ときには朝方の雨の音に来し方を偲ぶ。地元の人は「今年は雪も少なく暖かった」と挨拶する。

「悠然と 白雲流れて ウグイスの音」悠々
「春暁 多情仏心 雨の音」悠々

持参した本は愛読書・貝塚茂樹の「史記」(中公新書)のみ。あとは散策。今年はタンポポの花が目につく。「多摩川の砂にタンポポ咲くころはわれにもおもふひとのあれかし」(若山牧水)の歌を思い出す。歩けば意外な発見がある。戸隠小学校の正門のそばに二宮尊徳像があるのに気が付いた.いまどき小学校に二宮尊徳像があるのは珍しい.柴を背にした本(『大学』)を読んでいる像である。しばしたたずむ。昭和57年度の卒業生寄贈とある。今から34年前のことだ。この時の卒業生たちは今、47歳前後の働き盛り。世のため人のために働いていると想像すると嬉しくなる。戸隠は標高1000mの山の中だが地震の痕跡が残っている。吾が丸太小屋の近くに『大頭庵跡』の遺跡がある.この庵は戸隠本坊当慧含大僧都の山荘。いまは高さ4メートル規模の石垣が残る。堂は弘化4年(1847年)の善光寺地震(マグニチュード7・4)で焼失した。直下型地震に襲われると、どこに居ようと危険だという証であろう。

創立が文化2年(1805年)の「大久保の茶や」に2回ほど山菜そばをいただく。ここのそばは絶品。標高1000mの空気がさらに美味しさを深める。有名人の色紙が店の壁を埋める。今まで何気なく見ていたが「王将戦」や「名人戦」で親しくなった将棋永世名人の大山康晴さん(故人)と丸田祐三九段(故人・長野市出身)の写真があるのを見つけた。これまで何回もここにきているが目に届かなかった。昭和47年7月と日付があった。思えば平成元年2月1日、丸田九段(当時日本将棋連盟副会長)西村一義八段(当時同理事)立会いの下、大山将棋連盟会長から将棋五段の免許をいただいたこともあって何かとお世話になった。

上田に住む孫娘夫妻が3歳の誕生を迎えたばかりの娘を連れて遊びに来る。その3歳児はこの正月府中の自宅に来た際には手を差し伸べても嫌がって私のところに来なかったのが私に「本を読んでくれ」とせがむ。本は「はらぺこあおむし」(エリック・カール作・もり・ひさし訳・偕成社・ボードブック・1997年9月1日1刷・2008年4月1日190刷)。腹をすかしたあおむしの月曜から日曜日までの様子を描き、やがて美しい蝶になる話。ひおじいさんは美しくなった蝶のその後が気掛かりだ.曾孫からのプレゼントはひおじいさんとひおばあさん似顔絵であった。 二宮尊徳が熟読した「大学」に曰く。「蓋し天の生民を降すよりは則ち既にこれに与うるに仁義礼智の性をもってせざる莫し」。朱子が説明するに「仁はこの温和慈愛的の道理、義はこの断制裁割的道理、礼はこの恭敬尊節的の道理、智はこの是非を分別する道理」と言うことである。戸隠の自然、風景、遺跡は人間が天から仁義礼智を与えられているのを教えている。人生の意義もここにあるということだ。どうも気が付くのが遅すぎる。昔から大器晩成型と言われた。今年もまた戸隠中社の近くにある森林植物園の水芭蕉が美しい白い花を咲かせていた。花言葉は「変わらぬ美しさ」。人間もそうありたいものだ。

「戸隠の 豊かな水に 育まれ 水芭蕉は 今盛りなり」悠々