銀座一丁目新聞

花ある風景(592)

並木徹

友人下川敬一郎君の絵を見る

友人の下川敬一郎君(福岡県筑後市在住)が「創元展」(75周年記念)に出品した絵『思い出』(100号)を見る(3月30日・東京六本木・国立新美術館)。昭和15年に創立されたこの会は「誠実・情熱・知性」をモットーに会員700名を有する。私は毎年この絵画展を見ている。ここ3年、下川君の描く絵は軍艦島であった。今年は一変して風景画であった。89歳の今もなお絵に打ち込んでいるのに感心する。定年後に始めたというがすでに30年近い。その熱心さは下川君の性格であろう。そういえば思い出した。航空に進んだ下川君が区隊長から「君は操縦に向いていない」と言われ.あくまでも操縦希望を区隊長に強く訴えた。その熱情にほだされた区隊長が希望をかなえたことがあった。

彼の絵は会場の16号室にあった。ここには40点ばかりの作品が展示してある。しばしたたずむ。緑の野原に小さく2軒の家が描かれる。故郷築後の風景だという。昨年5月に描き、半年ぐらいかかって完成させた。五月晴れの青空のもとの田園風景。人影はない。のどかだが永久の時間が流れる・・・見ていて飽きなかった。

「五月晴れ 行く人もなし 畠道」悠々

入校した区隊の同期生は40人。今健在なのは10人をわずかに超える。10年前に区隊史を出したが、下川君は「この80年の人生でわずか2年5ヶ月の陸士生活であったが、この短い期間が僕の最も感動的な人生であったように思う」と書く。区隊史の表紙は下川君の描いた九重山の絵であった。下川君の定年後の生き方に見習うところが多い。区隊史には雑誌「偕行」に連載された「今に生きる」の下川君の記事が転載されてある。 「36年間務めた会社を定年退職して6年、退職後運転免許を取得、なお暇を持て余し習い始めた能面うちと油絵は幸いよい師匠に恵まれ能面は平成元年5月、福岡で観世流の能楽に使用され、油絵は昨年創元会50周年記念展で初入選、現在今年の出品作品に取り組んでいる。長男、次男は医者として独立、家内と3男と3人暮らし。家内のお茶の送迎,また週2回病院のお手伝いと毎日忙しく過ごしている」(平成4年4月号)。 書くことのほか能のない私はネットの新聞を発行して今年で20年たつ。つい最近、友人に「何のために新聞を出すのですか」と意外な質問をされ「独断と偏見の意見を発表していささかでも民主主義の発展のために寄与したいからだ」ともっともらしく答えた。下川君の絵が我々に教えてくれているような気がする。

「模範あり 老いの生き方 春うらら」悠々