銀座一丁目新聞

花ある風景(591)

並木徹

長沢真澄さんのハープ演奏を聴く

2年ぶりに長沢真澄さんのハープ演奏を聞く(3月27日)。真澄さんの父親長沢義忠さん(故人)が芝中学校出身でこの日、同級生5人(夫人同伴者1人)が集まった。その一人霜田昭治君の誘いで陸士同期生ということで荒木盛雄君とともに出席する。演奏は午後2時。会場は東京都美術館講堂。今回は「ボッティチェリ展」記念コンサートとして開かれた。演奏にはサウルハープ、ノンペダルハープ、ペダルハープの三種類のハープが使われた。

この日、上野の森の桜は5分咲きと言うのにものすごい人の波。沿道にはぎっしりと敷かれた緑のシートの上で花見の宴がたけなわであった。コンサート会場も満席であった。東京都美術館でその展覧会が開催中のボッティチェりは、優雅で美しい聖母や神話の女神を描いたルネサンス期のイタリア生まれの 画家として知られる。演目もそれに沿って選ばれた。

始めに長沢さんが小型のサウルハープを抱え演奏しながら颯爽と登場。曲目はV・ガリレイの「サルタレーロ」。飛びはねるような軽快なダンス曲。間もなく桜の満開を迎えるに相応しい調べであった。V・ガリレイは天文学者ガリレオ・ガリレイの父親である。他に2曲V・ガリレイの曲を弾く。ついでG・ビエルネの「即興的奇想曲」作品9。華やかにして優美。作曲家は思いつくままに曲想を書き綴るというが練達の作家が流れるような文章を書くのと似ている。次がM・スーラジュの「コラール」。この人は女流のピアニストにして作曲家。荘厳な讃美歌を思い出させる。私はふと詩編第130編第1節「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる…」を思い浮かべる。 真澄さん作曲の「流タイム」。プログラムに言う。「時の流れに身を任せ,静謐な中に吸い込まれるように。宙に遊ぶシャボン玉のように、少女の夢の目に燃える液体のように。流タイム」。ハープ奏者になったのは音楽好きな亡き父の影響。オランダを拠点にしたのはたまたま父の赴任先であったのが縁を結んだ。いまはマーストリヒト音楽院の教授として後進を指導するとともに18世紀後半から19世紀中ほどまでのレパートリーを開拓、精進を続ける。

私の心に響いたのはC・セバスティアーニの「輝ける君が窓」。ナポリ民謡として歌われるという。日本では「輝ける君の窓ははや暗し」、イタリアカンツォーネとして知られる。民謡は音楽の中心。流行歌まで含まれる。私にはなじみの音感と言う事であろう。最後がA・アッセルマンの「泉」作品44。生命の源、水が湧き出るイメージを表現する。ハープの音色を堪能させる調べであった。

「カンツォーネ ハープにのりて 花ひらく」(悠々)

演奏後、父の中学時代の同級生とお茶を飲む機会を持った。真澄さんの実妹・宮島瑞穂さん(昭和女子大講師)とそのご主人宮島英昭さん(早稲田大学商学学術院教授)も同席され、話は芝中時代の想い出から日本経済にまで及んだ。弾む話の中でも真澄さんの少女の夢の目は今なお輝いていた。再会が待たれる。

「佐保姫やハープ抱きてアルペジオ

  「ぼろろんと弦をすべりて春の水

  「春の海凪か怒涛かハープの音」(いずれも「天為俳句会同人荒木盛雄君)。