銀座一丁目新聞

花ある風景(590)

並木徹

春雨降る中、湘南地区の同期生会開かる

小雨降る中、出足が心配されたが恒例の湘南地区の同期生会には24名全員が出席した(3月11日・大船・中華料理店「千馬」、地元9名、他地区15名。)。相変わらず幹事・霜田昭治、安田新一両君の世話が行き届く。いただいた資料の中で感心したのが三井物産の2月例会での黒川伊保子さん(感性リサーチ社長)の講演記録。男と女の脳は回路構成と信号特性が大きく違う。これによって男女の溝ができ、女性がすぐキレ、無神神経なことを言うのだという。彼女の「鈍感な男 理不尽な女」(幻冬舎)を早速読んだ。「はじめに」(いわば序文)に「この本が世界中の男性の携帯辞書となって、世界中に男女間の安寧が訪れるといいなぁと願うように思う。ノーベル平和賞をもらってもいいくらいの一冊(微笑)」とある。私は喜んでノーベル平和賞の推薦人の一人になる。河部康男君から頂いた「北海道がんセンター院長近藤啓史さんのエッセー」も興味深かった。ガンで余命3ヶ月と言われた夕張市長が笑うことでストレスをためず、がんを克服したと言うのだ。「スマイル・ガンファイター」になろう。この日のプレゼントは笹路能也君の日本手ぬぐい。図柄は夫人が描いた3匹のお猿さん。「言わざる、見ざる、聞かざる」。ありがたくいただく。

荒木盛雄君が音吐朗々、謡曲「鶴亀」の一節を披露する。また有馬朗人が主宰する句集『天為』の昨年11月号の巻頭に荒木君の句「敗戦忌股肱の臣の真の闇」が選ばれた。士官候補生でなければ読めない句だ。すごい句だ。仙台幼年学校の校歌の一節「汝ら股肱と宣わす」とあり陸士校歌にも「われらを股肱とのたまいて」とある。船舶兵の荒木君は敗戦を沼津海岸で桟橋構築訓練中迎えている。早々戻った相武台で「戦うべきか」「詔詔必謹か」で激論が戦わされたのを思い出す。「天為」2月号に荒木君が巻頭作家として10句が掲載されている。その一句「荊妻と撞く除夜の鐘延暦寺」。数日後、会の感想句を2句送ってくれた。「臥龍梅同期集へる二十四人」「千馬ゆく地震(なゐ)後五年(とせ)の春の雨」

出席の飯田篤敬君も俳句をよくする。「偕行」によく投稿している。3月号に「初春の空はまさおに富士真白」が特選となっている。
座った席の右隣が西村博君。4月21日の権現山碑前祭には「あさま673号」で行くという。私も行くつもりだ、参加者は7,8名になりそうだ。「奇数月が59期の靖国神社参拝月。昇殿参拝するので参加してほしい」と訴える。左隣が川井孝輔君。私が満州育ちと知って『思い出の満州スタンプ集』のコピーをくれる。大連駅、旅順駅,普蘭店駅などなど懐かしい駅名のスタンプ34個があった。さらに版画「笠森観音(坂東第31札所)の写真、板橋の乗蓮寺にある「東京大仏」と「杵築城から高千穂神社」「国見ヶ丘から岡城址」の写真付きの紀行文をいただいた。つい最近、胃の癌を取り除いたというのに元気なのには安心した。

ころの良いところで古屋康雄君のハーモニカ演奏による軍歌演習。「陸士校歌」から7曲を歌う。「ホロンバイル小唄」は予科27中隊の愛唱歌だと吉本準君が言う。私の居た23中隊では歌った覚えがない。それぞれの中隊で歌う軍歌に違いがあったのであろう。

会が始まる前、大船駅を出たところで武田健策君と会った。すぐに「実に君はいい仕事をしているな」と褒めた。実は最近、読んだ毎日新聞時代の友人福居浩一君が書いた著書「タイ文字を創れ」(化学同人刊)には武田君が農林省の役人時代、福居君(毎日新聞をやめて国際技術振興協会事務局長となる)と一緒に途上国の科学発展のためその国の言葉で書かれた科学書出版に力を尽くしたことが紹介されており、武田君を激賞している。同台経済懇談会の講演会でもよく一緒になる武田君だがそんなことを一度も口にしたことはなかった。同期生たちはそれぞれの場所で戦後日本再建のために尽くしている。男は無口がいい…参加者24名みんな凛としていた。