銀座一丁目新聞

安全地帯(492)

市ヶ谷一郎

「責任」の重さ

かつて陸軍士官学校で同じメンコ(軍隊で使用した飯盛りのアルミ食器)の飯をたべた老生の同期生には、もと参議院議員事務総長・国会図書館長の指宿清秀、もと防衛局長の塩田章、本誌主幹でかつての俊敏ジャーナリスト牧内節男、戦車の権威でもと陸上幕僚副長村松栄一、早世した名アナウンサー八木治郎や剛腕代議士梶山静六・渡瀬憲明などの諸氏たちを輩出したが、みな、全員先輩で上官であり教育者の校長、生徒隊長、中隊長、区隊長より、「勇怯の差は小なり。しかしながら責任観念の差は大なり」(勇気と卑怯の差は小さい。しかし責任観念の有無の差は大である)と教育され、かれらはそれを体して実行して来た老生の尊敬している人たちである。

軍隊で将校ともなればいくらボンクラの小生でも部下とともに剣電弾雨のなか戦うことになり、また、平時でも危険をともなう訓練が多々あるので、当然貴い部下の命を預かることになる。もちろん部下には家族、親族、縁者がついている。当時19才だった老生は兵科が歩兵であって、あと数か月で卒業すれば、必ず連隊へ配属され部下を持つことになる。「オレに続け」で万一の時を考えればその責任の重さは、図りしれない。いくら国を守るためとはいえ、この覚悟をするには悩みに悩んだが、結論が出るわけはない。「責任の重さ」の訓諭が脳裏に焼き付いて寝台の上で寝られぬこともあった。そのうえ数か月、士官学校から普通の兵のいる連隊へ見習いをする隊付勤務(教育実習)に行き、内務班で、ほとんどが意に反する召集令状で来てこれから戦場に出征する年上の兵士たちと起居を共にし、会話を交わしますますその感を深くした。これは終戦後も、仕事を持っていた間、退職後、留守番の爺やで一家の戸長だけが仕事になってしまったいまも一生、責任観念が必要なことを痛感している。

ひるがえって1月15日未明の軽井沢入山峠付近のバス転落事故は、前途有為の19~20才の学生諸君がほとんどの13名、乗員2名の死者、残りの乗客26名は、全員負傷と胸を締め付けられるような大惨事になった。再びこのような事故がないよう原因究明が待たれるが、ご遺族のお気持ちは察するに余りある。運転手の運転未熟か、バスの整備不良か実に多くの人の命をあずかる関係社員の人災であり責任観念の欠如にほかならない。しかもその後まだクルマの事故がつづく。

文明が進むほど大事故が多くなるが、最近の日本人は平和ボケで弛緩してきているのではないか。廃棄処分と知っていながら食品として横流し、売る方も買う方もどういう心なのか。大会社の粉飾決算、談合、汚職、政治家の悪い噂、もうどこか近所の国も笑えぬような想定外の事態が群発してきた。もう少し自分の仕事の責務を自覚して責任感を持って行動しないと、戦後の荒廃から折角ここまでにしてくれた方々に申し訳が立たないのではないか。老生もまだクルマを運転しているが、交通事故ばかりでなく、いろいろな事故を教訓に、日々、身を引き締めて余生を過ごさないと、他に迷惑をかけ極楽往生は到底できないであろう。再び言う責任観念の差は大なり。