銀座一丁目新聞

茶説

ピアノのための組曲「斑鳩」を聞く

 牧念人 悠々

昨年暮れに開かれた関晴子さん「ピアノ・サロンコンサート」で寺内園生の組曲「斑鳩」より「斑鳩の里」を聞いた際、『この地方にいるイカルガの鳴き声で始まる。この鳥は「キョコキー」と鳴く。「イカル」ともいう。大きさは23センチぐらい。斑鳩は聖徳太子の斑鳩の宮のあったところ。今の奈良県生駒町斑鳩町である。日本にはいたるところに仏像があるのどかな里の風景が広がる。この組曲の全曲を聞いてみたい欲望に駆られる』と感想を述べた。なんと元旦の朝、関さんから全曲が入ったCDが送られてきた。すぐに聞く。すばらしい組曲であった。感動した。今年は春から縁起が良い。組曲の構成は1、斑鳩の里、2、釈迦如来坐像、3、浄瑠璃の吉祥天、4、三面の阿修羅像、5、日光・月光菩薩、6、当尾の石仏、7不空羂策観音である。

鳥の鳴き声だけでなく柔和の仏様のお顔。包容力、ほほえみ、菩薩様から出る温かい穏やかな光、菩薩が救いの縄を投げる動作をイメージした音まで表現されている。なんとピアノの奥深いことよ。作曲家・寺内園生の創造性の豊かさに驚かされる。2,3回聞いただけではこの組曲を理解は到底できない。音楽はもっとも苦手な分野。「道遠し・・」を感ぜざるを得ない・・・

•「斑鳩の里」。ピアノの音による斑鳩の鳴き声はちょっと怒ったような声だそうだ。ピアノの音でそれがわかるのであればよほど耳がよい。私にはわからない。
•「釈尊如来坐像」。 飛鳥時代の木彫像。釈迦像にはいろいろな彫像がある。伝記中の各時期における釈迦を造像したものである。35歳の時、安座瞑想して明星を眺めて大悟した。釈尊如来坐像は「施無畏・与願釈迦像」である。右手に施無畏,左手に与願印に結ぶ像。無畏とは種々の恐怖を取り去り安心を得させることを意味する。世無畏とは無畏を施し、うれいや患いを除去して安心を与えて救済すること。与願とは願望を満足させること。釈迦が大悟した35歳以降の年齢の像である。「淡々」と言うのがこの像からのメッセージとか。
•「浄瑠璃の吉祥天(浄瑠璃寺)」。鎮護国家‣五穀豊穣を司る女神である。その像容は唐風の貴婦人的な天女形で現される。花冠をいただき左手に如意宝珠をもつ。浄瑠璃寺の吉祥天は藤原時代の耽美趣味を多分に現れている。吉祥天のほほえみと包容力から「許しと微笑み型に与える幸せ」をこの像が教えてくれるように思われるという。
•「3面阿修羅像(興福寺)」。阿修羅は仏法を守護する役割を担う。3面6臂像。髪は火炎型。中央の2手は合掌、上方2手、肩先に2手を配す。宝珠は失われている。3面とも善意と悪意とが対立して抗争、苦悩する表情を表す。釈迦の守護神である。
•日光・月光菩薩(東大寺)。この両菩薩はもともと薬師如来の脇侍である。東大寺にある不空羂索観音の左に日光菩薩、右に月光菩薩がある。脇侍のように見えるが、この寺にあったものではなく、他から移転してきた客仏であるといわれる。物事の対照性を感じ取ることが出来ればよいという。
•当尾の石仏。浄瑠璃寺から岩舟寺までのみちのりにはたくさんの石仏がみられる。多くの民に明るい笑いの声を授けてこられた。
•不空羂策観音(東大寺三月堂)。「ふくうけんじゃくかんのん」は大慈大悲の羂索で生死の苦海に浮沈する一切の衆生を済度するのを本願とする観音様である。不空羂策神呪心経にはこの観音様を念ずれば「無病、財産は損なわれず,賊害もなく、水火の難も逃れる」など20種の優れた利益があるという。1面8臂像。高さ362mもある立像。正手を合掌、右手に錫杖を持つ(国宝・乾漆像)。

仏像がこのように多岐にわたり人生に関わっているとは今更のように知る。己の信心の足りなさを今更のように恥じ入る次第である。「ふくうけんじゃくかんのん ふくうけんじゃくかんのん・・・・・」