銀座一丁目新聞

追悼録(578)

「ふるきゃら」の代表石塚克彦さん逝く

劇団・「新生ふるきゃら」の代表 石塚克彦さんが亡くなった(10月27日・享年78歳)。前日まで劇団員の稽古をきびしく指導していた。もともと人工透析をしておりその日も病院に行く途中倒れたという。通夜・告別式が行われた幡随院(小金井市前原町)には彼が描いた舞台スケッチなどの作品が所せまして並べてあった。美術学校洋画科で学んだだけあって上手くすべてがおおらかに明るく描かれている。葬儀は劇団葬で葬儀委員長は相棒の天城美枝さんが務めたが大黒柱を失い劇団の行く末を憂慮していた。

「ふるさときゃらばん」と縁が出来たのは平成元年秋である。日米合作ミュージカル『レイバー・オブ・ラブ』(愛の労働)の話が持ち上がってからである。石塚克彦の演出・脚本のお芝居はすべて面白く感動させるものであった。演ずる役者の目がみんな輝いていた。石塚さんのきびしい稽古の成果でもあろう。この日米合作ミュージカルは演出・脚本石塚克彦、アメリカ側の脚本はプロードウェイでも知られているチャド・ヘンリー、演出は世界中で活躍している児童演劇の女性演出家のリンダ・ハーツェルであった。特別協賛の稟議書を私が自ら「販売拡張文化大作戦」と書いて稟議書を役員会に提出した。

日本で24公演、アメリカで13公演した。シアトルには石塚さんと一緒に行った。この時、「レイバー・オブ・ラブ」を仕切っているアメリカ西海岸で一番大きな芸術イベント会社・ワンリールから「バルセロナオリンッピクの芸術祭にこの合作ミュージカルを公演したい。特別協賛をしてほしい」と頼まれた。もちろんOKした。後で考えてみれば石塚さんとワンリールの合作劇のようであった。石塚さんは雑誌「ふるさときゃらばん」に「アメリカツアーは公演地すべてスタンディングオベーションの大喝采を浴び、その評判がヨーロッパに伝わりオリンッピク芸術祭に招聘された」と書いている。この方が話として面白い。

石塚さんの話で最も感銘深かったのは高校時代に見た大蔵流狂言の名手・三世山本東次郎の翁の踊りであった。山本東次郎が被る翁の面が陰り出し、みるみる悲しみの表情に変化する。涙がとめどなく流れるように見えた。やがて笑みに変わってゆく。嬉しくて楽しくてしようがない風情である。疑問に思って石塚さんは直接山本三世に質問した。答えは「腹芸なのだ」であった。それが数十年後に石塚ミュージカルとして花開いたわけである。劇団「ふるさときゃらばん」は平成8年『第4回スポニチ文化芸術大賞』を贈賞された。もちろん推薦文は私が書いたのは言うまでもない。

石塚克彦さんは私より一回り下の丑年である。知らなかった。丑年には芸術肌の人か少なくない。浪費癖があり多情多恨である。それにしても逝くのは早すぎる。心からご冥福をお祈りする。

(柳 路夫)