銀座一丁目新聞

追悼録(576)

ドクトル住吉仙也さん逝く

住吉仙也さんの思い出は尽きない。このほどその死を知った(10月5日死去・享年89歳)。10月22日に「卒寿」を迎えるはずであった。残念である。その著書「ドクトル住吉 ヒマラヤ彷徨記」に住吉さんを次のように書いた。これを紹介することで住吉さんを偲びたい。

『ドクター住吉仙也は詩人である。意外にロマンンチストである。ヒマラヤの花と蝶に魅せられ,鶴の群舞に酔う。初見参のヒマラヤを「やるだけ戦った 成否を何かあげつらう」と詠む。一見して“厚かましくズボラ奴”と見えるのは仮の姿に過ぎない。ヤク放牧のチベットの子供が彼につきまとい、シェルパたちが彼を慕う。黙っていてもテントに積もった雪を取り除く。馥郁と薫る人間に人は自ずと近づいてくる』

住吉さんとは群馬山岳連盟のサガルマータの冬季南西壁登頂でご縁ができた。スポニチ登山学校でさらに深まった。折に聞く「ヒマラヤ彷徨記」は興味深かった。彼が名医であるのを知ったのは友人の塩田章君の本であった。盲腸になった少年の手術を見事な手さばきやってのけたと書かれている。サガルマータ登頂前にも腹痛の隊員を「脱腸」と診断、それを手で治す。以来”ゴット・ハンド“と崇められている。名医に見えないところが彼の真骨頂である。

P-29に「住吉コル」の名を残す住吉さんは著名な登山家であるのを強調せねばならない。ヒマラヤに3度出かけている。それらの登山隊で日本人初登頂、秋季初登頂、冬季南西壁初登頂の栄光に輝く。
その人,今やなし・・・

(柳 路夫)