銀座一丁目新聞

花ある風景(573)

並木 徹

同期生の絆固し・・全国総会開かれる

陸士59期生総会が開かれた(9月26日・ホテル・グランドアーク半蔵門)。出席者114名(家族33名)。北海道から3名、東北5名、東海から3名、四国2名、中国3名、関西から2名,九州3名がそれぞれ参加、遺族や家族連が目立った。2年前に最後の全国大会を開いたが今回は偕行社にあった連絡事務所が今年12月末で廃止になるのでその区切りとしての大会となった。要は絆を深めようというもの。軍歌演習もいつもは最後の方になる「同期生会歌」を真っ先に歌う。伴奏はおなじみになった古屋康男君のハーモニカ。同期生会歌にいう『見よ59期まなじり決す』は72年前の姿。『往け59期使命は重し』は今なお求められる。それぞれの居場所で己の所信を貫かねばならない。

この日、来賓として「偕行社」理事長志摩篤さん、同事務局長若木利博さんが出席されたほか陸軍予科士官学校牧野四郎校長(昭和20年7月レイテで戦死)の息子さん牧野弘道さん(元産経新聞論説委員)が招待された。牧野弘道さんの兄一虎君は私と予科は同じ中隊で同じ区隊であった。戦後医者の道を進んだが平成9年8月なくなった。大会の前、一虎君の夫人洋子さんから「足が不自由なので私の代わりに義弟が行きます」との電話をいただいた。壇上で大会実行委員長清水廉君が昭和18年4月1日入校時に牧野校長が述べた訓示を朗読し、巻紙に墨書したその訓示を牧野弘道さんに手渡した。この訓示の中の「武士的情誼を涵養し、花も実もあり、血もあり、涙もある武人たることを期すべし。情誼は軍隊団結の基本なり」はよく覚えている。この訓示を碑文とした「牧野四郎陸軍予科士官学校長遺訓碑」が鹿児島県日置郡東市来町の高台に建てられている(昭和63年4月17日建立)。挨拶に立った牧野弘道さんは「先の台風15号の風速55mの中でも碑はびくともせずに遠く東シナ海を望んでいた」と話をされる。

懇親会の際、同じ区隊の田中長君(牧野君とは東京幼年学校でも一緒)とともに弘道さんに挨拶に行く。私はスポニチ時代作った「スポニチ登山学校の校則に『情誼あつき人間たれ』を入れた。これも牧野校長の教えの贈物です」と伝えた。

乾杯の音頭をとった野俣明君と顔追わせると「来年の権現山の碑前祭どうするのだ」と聞く。「有志で来年4月20日前後に行くつもりだ」(今年の参加者は西村博君ら12名)と答える。軽井沢の居を構える別所末一君が「碑文が錆びて読めないと君が書くもんだから読めるようにきれにした」と『遥拝所跡』を立てた元蓼科村村長依田英房翁の親族・依田光男さんと一緒に写った碑前での写真をいただく。「今度はみんなで我が家に泊まれよ」と誘う。メールで折々の季節の風景写真を送ってくれる高田昭二君が私の席まで来てくれてスナップ写真を撮ってくれた。「写真」の腕章を腕にまいて飛び回っていた霜田昭治君が「こんどの偕行社文化祭(11月6日から8日まで)に『新構造展』に入選の写真を出品するようになったよ」という。胃がんで寿命はこの7月までと言われた後藤久記君が元気な姿を見せる。抗がん剤は今なお飲んでいるという。時々府中の競馬場で出くわす。昨今、あまり会わないので心配していた。

総合司会を務めてくれたのが陸軍経理学校8期生(陸士59期相当期)の半田精三君。この日、陸軍経理学校8期生の参加者は3名であった。壇上で3名が陸軍経理学校校歌を高らかに合唱した。来年、事務所廃止後の連絡は今まで通り事務局の重白紀子さんが住まいを名古屋に移しても電話とパソコンで引き受けてくれるという。彼女は“59期生”なのである。28年間事務局に居たので59期生については我々以上に知悉している。実によく59期生の面倒を見てくれた。最近、大連2中の同級生で同期の加藤四郎君が亡くなった(9月18日)のを知らせたところ、即座に「阪大の名誉教授ですね」と言葉が返ってきた。このように同期生の事をそらんじている。世話人代の梶川和男君の挨拶では「現存している同期生は990人」という。少なくとも白寿をともに迎えたいと思う。