銀座一丁目新聞

追悼録(572)

同期生安木茂君を偲ぶ

同期生安木茂君が亡くなったのを雑誌「偕行」9月号で知った(2月10日死去・享年89歳)。まことに迂闊な話である。安木君とは同期生の遺稿集川口久男君「旅のあかしに」(A5版・70ページ)を出版してからの縁である(平成22年7月31日発行)。平成20年春に安木茂君が「会いたい」と電話で言ってきた。名前を知っていても兵科も違うしこれまで一度も会う機会がなかった。同期生の頼みを断わらない主義なので市ヶ谷の偕行社で初めて会った。

聞けば、平成19年4月21日に死んだ同期生川口久男君とは鳥取1中からの親友であり、手元にこれまで手紙やハガキで川口君が書きとめた俳句がたくさんある。これを含めて彼の句集を出したいという。聞かなかったが私が俳句好きであり、毎日新聞で出版局長を務めたのを知っての頼みと受け取った。早速、川口君の手紙やハガキから俳句を抜き出してまとめ、すでに川口君が出した句集「旅のあかしに」をつけ加え、これに安木君の前文をつければ「句集が出来る」と安木君に原稿を送った。そのままになった。平成22年の1月、「話がある」というので再び偕行社で安木君と会った。「何とかして出してくれ」と10万円をさし出した。本を出すにはもっとかかるがどうしても出したいという安木君の強い意志を感じた。同期生の誼である。残金は私が持つことにした。彼の前文は親友でなければ書けないものであった。安木君の父親安木亀二大佐(陸士32期)は昭和20年8月15日112師団の参謀長として師団長の中村次喜蔵中将(陸士24期)とともに満州.琿春で自決している(前文には戦死とある)。川口君の父親も陸士出身の軍人で満州国皇帝溥儀の護衛の責任者であった。敗戦の翌年、昭和21年2月3日、中国内戦の渦中に亡くなられた。川口君には中学1年生の時にすでに「ハンカチ包みあまりし防風かな」の句がある。小学校5年生から母親の手ほどきで俳句を始めたという。俳句は水準をこしていると感心した。

追悼句集を出す以上は良い本にしようと安木君と同じ東京幼年学校で同期生の田中長君と相談した。田中君は川口君とは航空士官学校時代、満州で司令偵察機の操縦訓練をした仲間。戦後も付き合いがあった。田中君は川口君への「追悼録」を書き、墨字で「人生に余白ありて日向ぼこ」を揮毫してくれたほか川口君の写真、川口君の夫人喜久子さんから田中君にあてた手紙などを提供してくれた。100部を出版したが手元には今や1冊しかない。折に触れて安木君と作った「旅のあかしに」を手にする。平成25年9月に出した「陸軍士官学校59期本科14中隊1区隊戦後史」の本題を「人生の余白」したのも川口君の句「人生に余白ありて日向ぽこ」から借用した。同期生の思いは次から次へとつながってゆく。追悼集「旅のあかしに」を出してよかったとつくづく思う。

安木茂君のご冥福を心から祈る。

(柳 路夫)