銀座一丁目新聞

安全地帯(471)

相模 太郎

「山路来て何やらゆかしすみれ草」芭蕉

家の周りを散歩しながら自分に言い聞かせる。「死は生の終着駅」。終着駅には別にあわててゆくこともない。庶民の行き交う街の風景を眺めつつゆっくり、のんびり生きてゆけばよいと思う。歩数にして約5000歩。90歳を間もなく迎える男の心境である。春に作った句を紹介する。
「すみれ草 われ見守らむ 終着駅」悠々
芭蕉は貞享元年(1684年)8月、深川の芭蕉庵を出て旅に出る。その様子は「野ざらし紀行」にくわしい。芭蕉40歳。大津に至る山越えの道で「山路来て何やらゆかしすみれ草」と詠む。
万葉集の歌人,山部赤人もすみれを題材に「春の野にすみれ積みにと来し我そ野をなつかしみ一夜寝にける」(巻8-1424)の歌がある。このすみれ、実は女性を意味するのだという。野・すみれ・野宿にこめた赤人の歌心は「風狂」であったと文学者・中西進は解釈する。当然、芭蕉の頭の中にこの赤人の歌があったという。
「すみれ」の花言葉は「誠実・真実の愛」である。歌人鳥海昭子は「花の名を幾度となく問われます 先生老いてスミレ花咲く」の歌を残す。私も何度となく花の名前を尋ねる年になった。
「花の名問う年になれりすみれ草」悠々