銀座一丁目新聞

 

追悼録(561)

「吉里吉里忌」に思う

作家・井上ひさしさんの故郷山形県川西町(旧小松町)で「吉里吉里忌」(4月19日)が開かれたことを知った。井上さんが亡くなったのは2010年4月9日である。すでに5年たつ。井上さんは今の時代をお芝居で何と表現するのであろうか。井上さんのことだから弱者の立場に立って珠玉のような言葉で今の時代を綴るであろう。思想的には私と正反対の井上さんだがなぜかその言葉にはひかれる。井上ひさし原作のお芝居はほとんど見ている。そのお芝居を振り返りながら今の世相を見てみたい。
東京帝国大学教授吉野作造と弟の商工省次官、商工大臣となった信次をえがいた「兄おとうと」。この中で民本主義を「三度のご飯をきちんとためて火の用心をして元気で生きられること」と説明する。作造は近代国家なら貧しい産婦のための産院、親のない子供のための保育所、朝鮮や中国の苦学生のための奨学金制度、医者にかかれない人たちのための病院、仕事の下でのない人たちに元手を課す相互金庫などを作るべきだと考えて実現しようとした。それが前掲の三つの言葉で表現される。格差がひどくなり、保育所不足から待機児童が増え、全国各所で災害が頻発する現在、作造の意図する政策を実現に努力せねばなるまい。どうも効率ばかりを求めて逆方向に向かっているように見える。
廣島原爆で「生き残ったことが申し訳ない」という娘さんと幽霊になって出てくる父親の物語「父と暮らせば」。いわば生者と死者の対話の戯曲である。このお芝居が東日本大震災の起きた2011年の8月26日、仙台で公演が行われている。主催した仙台文学館の赤間亜生さんは「目の前の現実をうけとめて次に行く、あるいは別の境地に行く力が、言葉にあるのではないかと思います」と演出家鵜山仁さんとの対談の中で語っている(「THE座」NO69より)。
「なにもかもなくした手に4まいの爆死証明」(松尾あきゆき)
作家林芙美子を描いた「太鼓たたいて笛ふいて」。戦争中は勇ましい従軍記、戦後は反戦文学の旗手。知識や思想や主義などくそくらえ、一生は流転であり虚無に過ぎない…なぜ林芙美子はこのような人生を送ったのか。演出家の栗山民也さんは「何故と自分自身に問いかけすることによって歴史からいろんなものが見えてくるはずです」と言う。今なぜこのようなバカげたことが起きているのか常に問わねばならいと井上ひさしさんがあの世から言っている。そんな気がしてならない。
井上さんが樋口陽一さんと書いた「日本国憲法を読み直す」(講談社文庫)の中で「一流の武芸者が到達する心境は『強さの究極は戦わないことにある』」と。まったく憲法9条の精神と合致する。孫子も同じことを言っている。『戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり』だが、それなりの軍備軍略を立てなければ『戦わずして勝つことは出来ない』。国際協調・国際協力・抑止力・日米同盟を考えれば日本にとって集団的自衛権の行使容認も安全保障法制も必要である。井上さんは「NO]と言うであろうが同じく不戦でも実現の方法が違う。
小林多喜二を描いた「組曲虐殺」の時代は終わった。戦後70年間、日本は平和の道を歩んできた。これからも同じだ。作造の言う「三度のご飯をきちんと食べて火の用心して元気で生きていこう」。私はこの「火の用心」は防災だけでなく軍備をも入ると思っているのだが…。
「語り継ぐ言葉の力吉里吉里忌」悠々

(柳 路夫)