銀座一丁目新聞

 

追悼録(559)

美智子妃が歌った子守唄「ゆりかごの歌」

仕事で知り合ったフジテレビの報道局社会部から送られてきた「皇室のこころ2014年冬」と「皇室のこころ2015年冬」とのCDが送られてきた。前者のCDに美智子妃がカナダのトロントの児童病院で子供たちに子守唄を歌うシーンがでてくる(2009年)。美智子妃は事前に何か短い話をと、頼まれたのだが適当なものが見つからなかったとして子守唄「ゆりかごの歌」(作詞・北原白秋、曲・草川信)を歌う。美智子妃は「3人の子供によく子守唄を歌たった経験を頼りに…歌手のようにうまくいきませんが…」と前置きして静かに日本語で歌う。感動的であった。

「ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよねんねこ ねんねこ ねんねこよ」

「ゆりかごのうえに 枇杷の実が揺れるよねんねこ ねんねこ ねんねこよ」
「ゆりかごのつなを 木ねずみが揺するよねんねこ ねんねこ ねんねこよ」

「ゆりかごのゆめに 黄色い月がかかるよねんねこ ねんねこ ねんねこよ」

思わぬ歌のプレゼントに子供たちは手をたいて大喜びであった。これほど見事な皇室外交はない。
急に歌を歌うのは難しい。ある本で歌手が外国で「即興でないか歌ってくれ」と頼まれて「イロハの歌」を歌ったのを思い出した。「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つね ならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 」( 色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔もせず)。見事に歌い上げたということが紹介されていた。機転とはその人の人柄が現れるものだとつくづく思う。
「ゆりかごの歌」は大正10年、雑誌『小学女生』8月号で発表された。子守唄のことを別名で「揺籃歌」(ようらんか)とも言う。北原 白秋は詩人としても、童謡作家としても、歌人としても知られる。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡は少なくない。白秋にしても自分の子守歌が美智子妃殿下によって外国の子供たちにまで歌われようとは知る由もあるまい。白秋は昭和17年11月、57歳で死去した。

(柳 路夫)