2014年(平成26年)5月20日号

No.609

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茶説

集団的自衛権の容認は当然だ

 牧念人 悠々

 集団的自衛権の憲法解釈変更を巡り大騒ぎしている。大本は戦争放棄、戦力不保持交戦権の否認をうたった憲法9条による(昭和22年5月3日施行)。いわゆる「平和条項」である。9条2項に「前項の目的を達するため」があるため「日本は無条件に武力を捨てるものではない」というので自衛権を持つ。どこの国も自分の国を守る権利を持つのは当然である。戦前に懲りて日本では軍隊を「自衛隊」と称し軍艦を「護衛艦」と呼ぶ。自衛隊員はかっては「税金泥棒」といわれた。東日本大地震の際の自衛隊の献身的な救助・援護作戦・遺体捜索活動に今更のように自衛隊の価値を知りその自己完結型組織に目を見張った。だがこれは自衛隊にとって“余技”(災害出動)でしかない。本来の任務は国の防衛である。その自衛隊に縛りをかけているの一つが集団的自衛権否認である。集団的自衛権の行使は当然である。千差万別に変化する戦争に限定的などという枠をはめるのは無意味である。

 これまで政府は個別的自衛権のみを認めてきた憲法解釈を変更し「日本と密接な関係にある外国に対する武力攻撃が発生、日本の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある。被攻撃国の要請または同意がある場合」に集団的自衛権を限定的に認めることとした。これでは不十分だと思うのだが新聞はこの程度の憲法解釈の変更を「立憲主義の否定」と批判する。中国や北朝鮮が反対するならわかるが日本人が国の安全を守るために必要な集団的自衛権を容認しないというのは驚きである。

 しかも「統帥権」を持ちだして憲法をないがしろにしたと論難する。戦後は戦前とは事情を大いに異なる。自衛隊の最高司令官は首相であり、選挙の洗礼を受けた文民であるのを忘れてはいけない。むしろ自衛隊の出自こそ考察すべきではないのか。自衛隊の前身は警察予備隊である。昭和25年7月8日、マッカサー元帥の警察予備隊の新設と海上警備力の強化の指令により誕生した。これができる経緯は占領下とはいえ、今日の憲法論議の比ではない。前の月の6月に起きた朝鮮戦争の落とし児である。日本に駐留していた米軍4個師団の後をうずめるために4個師団編成の定員7万5000人の日本防衛隊ができた。再軍備を禁じた憲法の建て前上警察予備隊と呼称した。8月10日公布された警察予備隊令(政令60号)第1条には「この政令は、我が国の平和と秩序を維持し公共の福祉を保障するのに必要な限度内で国家地方警察及び自治体警察の警察力を補うため警察予備隊を設け、その組織に関して規定することを目的とする」とある。だが装備は米国貸与のカービン銃,重,軽機関銃、迫撃砲(60ミリ)小型ロケット砲(75ミリ)などであった。明らかに軍隊である。時の首相は吉田茂であった。国会開会中では騒ぎになるであろうと国会の閉会を待って公布された。今回は安倍晋三首相がテレビの前で記者会見までしている。当時米軍は一時、北朝鮮軍に釜山まで後退を余儀なくされ、中国軍まで加勢した。警察予備隊の誕生はまさしく“時代の要請”であった。

 昭和27年4月28日日本が独立した際、軍隊の在り方を含めて憲法は改正されるべきであった。それを怠った為政者の罪は大きい。警察予備隊は昭和27年10月に保安隊と改称され、昭和29年6月、防衛庁発足に伴って陸上自衛隊となる。吉田茂はその著書『回想10年』(新潮社刊第4巻)に次のように書く。「いずれの国も独力をもって独立を全うするのは不可能である。それゆえに北大西洋条約の如く、日米安全保障条約の如く、英米の強国さえ悉く集団防衛もしくは集団安全保障を国防の根本方針としている」「極言することが許されるなら、日本は北から南西にかけていわば武力の脅威によって取り囲まれている。俗な言葉で言えば日本は狙われているのである。海を隔てているが近代武力の前には境を接していると同じである。こうした地理的環境に位する国が自らの戦力を持たずして、その国土の安全を図る途は理解あり好意ある大国の直接の保護を受ける現在の行き方のほかには到底考えられない」

 この本が出てから57年、吉田茂の指摘は今なお新鮮である。時代はさらに激変している。今回の集団的自衛権の容認は国際情勢の劇的変化により、国を守る一つの手立てに過ぎない。