2014年(平成26年)4月1日号

No.605

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茶説

芳崖の「慈母観音」に酔う

 牧念人 悠々



 狩野芳崖の「慈母観音」(制作・明治21年・重要文化財)の前にたたずむ。観音様は中空におはす。童子が観音様を仰ぎ見る。昔から悩む庶民を救済するのを使命とされ,罪深き人々も煩悩に苦しむ人々を安んじてこられた慈悲深き方である。見ていて心がしびれる。66歳で死んだ芳崖の最後作品。それから192年。近代日本画の出発点に位置づけられる名品。その”画心”は今日でも色あせていない。むしろより一層の輝きを増す。

 「春深しただ仰ぎ見る慈悲観音」悠々

 東京・上野の東京都美術館で開かれている「世紀の日本画展」−日本美術院再興100年特別展・後期展―を見る(3月21日)。この日、友人の荒木盛雄君と霜田昭治君と誘い合わせて午前中、美術館講堂で上映中の松村克弥監督の映画「天心」を見る。映画は明治36年居を北茨木の五浦に移した岡倉天心の下で横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山らが貧乏な生活に堪えながら新たな日本画に精進する様子を描く。明治40年文部省主催の展覧会で菱田春草、木村武山が上位を独占する。3人の子を抱え困窮しながらも春草を励ましつづけた妻千代の姿に涙した。

 映画にも出てくる横山大観の「屈原」は日本美術院の第一回展覧会の出品作品(明治31年制作)。時に大観30歳。絵柄は風吹きすさぶ荒野をさまよう初老の男の姿。黒い顎鬚を蓄えた屈原は苦渋に満ちた表情をしている。紀元前3,4世紀の中国戦国時代の人物の表情は知るべくもないが、その顔は岡倉天心と似ているように思えた。明治31年3月、怪文書事件をきっかけに東京美術学校校長を追われた岡倉天心の姿とダブらせているという。横山大観は「岡倉天心の理想主義、東洋主義を絵画で実践していく制作姿勢は生涯変わらなかった」。連日酒杯一升を欠かさず「自ら省みて直くんば、千万人といえども我行かん」が口癖であった。昭和33年2月、89歳で死去する。屈原といえば私には「泪羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に吾立てば 義憤に燃えた血潮湧く」の歌を思い出す。

 「後手に立つ屈原や春の雷」紫微

 前田青邨の「知盛幻生」(制作昭和46年)。壇ノ浦の戦いで入水した平知盛ら9人の武人、いずれも弓を構え波しぶきを浴び幻想的に描かれる。

 山本安英の「子午線の祀り」の舞台が甦る。滅亡の世界が展開する。嵐圭史の知盛が圧巻であった。本展の第7会場にある「女人卍」を描いた北沢映月は第52回院展(1967年)に「ある日の安英さん」を出品している。舞台衣装を手にした着物姿の在りし日の山本安英さんを描く。平成2年に死んだ北沢映月は歴史上の女性や物語に取材した作品のほか現代女性も取扱い一貫して女性賛歌を表現した。

 小林古径の「孔雀」(制作・昭和9年)に足を止める。見ているだけで心地よい。この絵から官能的なものを感じる。羽をいっぱい広げ美しくみせているからであろうか。その程度の鑑賞眼しか持ち合わせていないということであろう。

 「春麗豪華絢爛孔雀の舞」悠々
 「孔雀の蒼の大輪春を増す」悠々
 「風光る羽一杯の孔雀かな」紫微   
  
 後期展の展示作品59点。映画「天心」主題歌に言う。「古からの笛(こえ)描く絵に溶けて 感じてみよ森羅万象 込める筆先に」(作詞・作曲石井竜也)。古きが今、ここによみがえる。芸術の命は永い。

 荒木盛雄君(俳号紫微)が俳句を作ってくれた。

 マチス調上目遣いの藍浴衣    コーちゃんの休日(小倉遊亀)
 葉鶏頭左武山の「小春」かな   小春(木村武山)
 見守られ白衣の釈迦の涅槃かな  涅槃(荒井寛方)
 日矢射して群青の山笑ひ初む   比叡山(速水御舟)
 北海の空に乱舞の赤蜻蛉     道産子追憶之巻(岩橋英遠)
 春雷や見つむる画師の面構    面構(歌川国芳)(片岡球子)