2014年(平成26年)2月1日号

No.599

銀座一丁目新聞

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茶説

黒沼ゆり子さんのヴァリオンを聞く

  牧念人 悠々

 黒沼ゆり子さんのヴァリオンを久しぶりに聞く(1月17日・東京・紀尾井ホール)。天皇様も美智子様とご一緒においでになられ熱心に耳を傾けられた。初めの曲目は「ドヴォルジャーク:ユモレスク」。一番ポピューラーな曲から演奏する黒沼さんがこのリサイタルにかける思いが分かるような気がした。「ユモレスク」はドヴォルジャークが1894年12月ニューヨークでの交響曲「新世界から」が大成功を収めた翌年5月、故郷のチェコ・ヴィソカーに帰国した際に生まれたピアノ曲。最愛の父親は息子の帰国前に80歳で他界。再会はかなわなかった。このピアノ曲に一抹の哀音を含むのはそれゆえであろうか。メキシコに居を構えた黒沼さん自身次々に音楽仲間を失ってゆく悲しい思いをこの曲にだぶらせたのであろう。

 「ヘンデル:ソナタ第4番」。1951年第5回学生音楽コンクール小学生の部で一等入賞曲。今回なぜかこの曲を無性にひきたくなったという。ヘンデルは74年の生涯のうち47年間イギリスで27年間はドイツで過ごした。ヘンデルはオラトリオ「メサイア」でハイドンを感激させ「天地創造」を作らす。「ハレルヤコーラス」で満場を総立ちにさせ、「水上の音楽」や「王宮の花火の音楽」で大船を浮かべ、花火を打ち上げさせる。ヘンデルは「雄大にして美しくさわやか」であった。そのヘンデルに導かれてプラハ音楽芸術アカデミーで学び、メキシコで「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を開校、多くの優秀な弟子を育てる。オペラ『夕鶴』の日本語メキシコ初演・日本上演など活発なる数々の演奏創作活動を行い、日本とメキシコの文化交流・友好親善に尽くす。メキシコ在住は34年に及ぶ。黒沼ゆり子さんは「独創的で美しくしなやかな大和撫子」である。「ソナタ4番」の第4楽章を聞いていて気持ちがはればれとしてすっきりした。

 「フランク:ソナタ イ長調」。メキシコのアカデミアで一緒に子供たちを教えた波多野せいさんと岩本憲子さんと共演の「マルティヌーのセレナーデ第2番」。「清瀬保二:レント」。いずれも心に響く。

 「スメタナ:故郷より」(全2曲)。この曲はヴァイオリンとピアノのために書かれたスメタナの唯一の作品。この「二重奏曲」も耳が聞こえなくなってからの作られたもの。私は子守唄のように聞いた。黒沼さんは「この美しい惑星に生まれた人間の幸せと、いずれは去らねばならなくなる生命ある者の姿に重なる」という。

 黒沼さんのヴァイオリン演奏を両陛下の至近距離で聞くとは望外の喜びであった。思えば、毎日新聞社会部に皇太子妃取材班が設けられたのは昭和30年秋であった。私はその一員であった。ご婚約が決まった日の夕刊に出した「特別夕刊八ページ」は他社を圧倒する内容であった。ささやかな賞をいただいた。それから55年。両陛下のお出でを舞台で涙を出し、解説していた黒沼さんの姿に己をだぶらせた・・・・