2013年(平成25年)12月10日号

No.594

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

安全地帯(414)

信濃 太郎


この便利な乗り物 、ああ自転車よ


 自転車をよく愛用する。出来るだけ歩くように心がけているが便利なのでつい乗ってしまう。歩道を走っていてよく人とぶつかりそうになったり、自転車同士でぶつかりそうになったりする。改正道路交通法(12月1日)が施行され、自転車が道路の右側にある路側帯を走ることが禁止されることになった(違反した場合は3カ月以下の懲役または5万円以下の罰金)。自転車で走ってみると、みんなよく左側通行を守っている。中年のおばさんが時に従来通り右側通行の乗り方をしているのを見かける。

 自転車の事はじめを調べてみた。日本にアメリカら輸入されたのは明治3年。木造で実用には程遠いものであった。明治12年には梶野甚之助が蓬莱町に製造所を設立、明治13年頃には石川孫右衛門が元町で貸し自転車屋を開業する。鉄製自転車が輸入されたのは明治14年ごろという。明治16年の春、ジャーナリスト宮武外骨自転車を探し求め神戸で古物を192円で買う。ゴム付の三輪車であった。明治20年には仙台で貸自転車が繁盛した。また自転車会社が開業する。明治26年には慶応の学生森村開作が自転車で関西旅行を試みる。自転車ツアーの始まりである。このころ自転車クラブが誕生する。神戸の自転車クラブが会員5名で東海道ツアーを計画、明治31年9月2日午前6時神戸を出発、東海道を上り4日午後3時、東京に到着、自転車の長距離走行記録を作った。11月6日には上野不忍池畔で自転車競走会が開かれ盛況であったという。このころから自転車が一般の人に普及しだした。明治35年には下駄ばきで自転車の乗ることと夜間の無灯火が禁止された。それから111年たった今でも夜間無灯火の自転車がしばしばみられる。人間のやることは変わらない。

 自転車泥棒は今でもあるのだろう。昭和25年見たイタリア映画「自転車泥棒」は涙が止まらなかった。ポスター張りに必要な自転車を質屋から引き出したのに盗まれ今度は自分が自転車泥棒をする。主人公の足元で泣きじゃくる子供を見て持ち主が警察沙汰にするのをやめる。後悔と汚辱にさいなまれる父と子…庶民には自転車には様々な思い出がある。私は府中で自転車に乗っていて出会いがしらに自動車と衝突放りだされたが柔道の受け身をして軽傷で助かった。自転車は使い物にならないほど壊れた。今日もさかんに自転車は街を走行する。自転車は庶民の乗り物だ。