2013年(平成25年)11月20日号

No.592

銀座一丁目新聞

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茶説

「国民の知る権利」と「報道の自由」

  牧念人 悠々

 国の安全保障にかかわる重要情報を漏らした者に重罰を科す「特定秘密保護法」ができる。『崩壊する知る権利』と騒いでいる。「一億総発信時代」、無理からぬと思うが、国の外交、防衛の特別の秘密を簡単にばらされては国の安全が守れない。いずれの国も強弱はあれ同じような法律がある。新聞は厳然として「国民の知る権利」に応えればよい話だ。国民が些細なことでこの法律で逮捕されるようなことがあれば抗議し、その不当である記事を掲載すればよい。悪例として戦前のことを引き合いに出されるが、今は民主主義の世の中、恣意的な権力の行使がまかり通るとは思えない。もっとも「特定秘密」には30年で公開するなど何か歯止めがいる。

 「国民の知る権利」とは何か、憲法にはその文言はないが「表現の自由」の中に含まれているというのが一般的見解である。「ソシアルメデア」が広がりを見せる中、新聞の発信力がまだまだ強い。その実態は多彩な「ニュース」である。新聞は「社会の人々が興味を持ち、重要なすべての事柄を、限られた紙面で伝える」(ニュースの定義)ことを商売としている。もちろん「ニュースとは編集長が判断する者がすべてニュースだ」という言葉もある。ニュースをめぐってしばしば新聞が時の政府と対立する。1971年(昭和46年)6月、ベトナム戦争に関する秘密文書を入手した「ニューヨークタイムス」がその大筋を特集し、解説を連載した。これに対して米政府は国益(「秘密文書の掲載は国家の安全に脅威を与える」)に反するとして掲載中止を申し入れるとともに提訴。米最高裁は政府側の要求を却下した(6対3)。新聞が勝利した(ニューヨークタイムス編・杉辺利英訳「ベトナム秘密報告」上・下・サイマル出版会に詳しい)。

 新聞は取材力を磨いて国家機密を暴く努力をすればよい。そのニュースが国民の納得するものであれば国民は新聞を支持する。当局の発表ばかりに頼り、現場に行かない記者が多くなった昨今、新聞記者の取材力がとみに落ちていると聞く。「崩壊する知る権利」とは一面、新聞記者の弱体化を意味するように思える。

 先輩の歴史に学べ。事前に大東亜戦争が12月初旬(昭和16年)開始するという特ダネをとったのは毎日新聞政治部の後藤基治記者であった。日ごろから親交のある米内光政海相邸を訪ね、雑談中、机の上に書類を置いて部屋を出て行った間にその書類を見て「Xディ」をつかんだのである。12月8日と特定したのは後藤記者が親しくしていた陸軍航空気象草分けの久徳通夫中佐から「マレー半島の気象条件の良いのは12月8日で、上陸作戦には可と出た」という話からであった。当時の新聞界は情報局の厳しい言論指導と検閲に縛られていた。さらに治安維持法、軍事機密保護法、新聞紙法、新聞紙など掲載禁止令、新聞事業令、戦時刑事特別法などがあり、今日の比ではない。特ダネは日ごろからの記者としての技量と信用がものをいう。取材の難しいネタをとってくる記者は限られている。そう多くはない。

 「表現の自由」はあくまでも守らなければならい。戦前のように懲罰召集という事態も起こらない。死んでも守るという気概があれば貫徹できる。「表現の自由」はそれだけ価値があるものだ。