2013年(平成25年)9月20日号

No.586

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

花ある風景(502)

 

並木 徹

 

陸士59期生の最後の全国大会
 


 昭和18年4月陸軍士官学校(埼玉県朝霞)に入校した私たち59期生は乃木祭を卜して最後の全国大会を開いた(9月13日・ホテル・グランドアーク半蔵門)。年齢は88歳前後である。参加者は300人を超える盛況さであった。

 会場正面に「59会第32回全国大会」の墨痕鮮やかな文字が有終の美を飾った(今村明君の書)。「人生には別れがつきものだ」と『酒を勧む』に詠んだのは晩唐の詩人于武陵。それを「さよならだけが人生だ」と名訳したのが井伏鱒二。感謝の気持ちを抱きつつもそういう思いにとらわれた全国大会であった。

 来賓として偕行社志摩篤理事長をはじめ靖国神社に祭られている同期生の遺族衣笠隆雄命の甥・衣笠晴雄さん、武山利起夫命の令弟伊藤忠士さん、令妹近江嘉代子・孝文ご夫妻、予科25中隊1区隊長ご子息大村政義さん、予科27中隊1区隊浜田春生区隊長ご息女宇都宮瑞枝・隆ご夫妻がそれぞれ出席された。いつも出席され挨拶をいただく予科31中隊3区隊の西宮正泰区隊長の姿が見えなかったのは心残りであった。司会は半田精三君(陸経)。君が代斉唱、黙祷の後、実行委員長・梶川和男君が挨拶する。「お互いに喜怒哀楽を込めた様々な舞台を乗り越えてきた。その都度同期生や友人、先輩、また最も身近な奥様方の影になり日向になりの絶えざる応援の力があった。今日はその奥様方に同期生に感謝の念を捧げる日であると思っている」。ついで本部代表幹事清水廉君が登壇。昭和42年59会の全国組織を結成、本年まで61年の歴史を語り偕行社はじめ多くの人々にお世話になったことに感謝の言葉を述べる。長年にわって59会を育ててきた清水君だけに言葉のはしはしに万感の思いがこもる。「今後は現在の事務所のまま、偕行誌の花だより編さんと会員消息を中心とする。会費はなくなるが偕行誌の購読は継続してほしい。この59会のご縁を最後の一人となるまで続けていこうではないか」と結んだ。

 防大1期(陸士で言うと68期相当)の志摩理事長が来賓の挨拶をされる。「59期生の方々にはお世話になった。防大に入校した際には教官が柴田繁さんであった。偕行社に入り塩田章さん、村松栄一さんにご面倒おかけし理事となった。最後の大会に呼んで頂けたのは幸せだ。皆さまのご健勝を祈念する」。

 会場はテーブルが4列に34個並べられる。ひとテーブル10人前後。広い会場がびっしりつまった。本部幹事想定外の参加者であった。最後の大会という同期生のそれぞれの思いがひしひしと伝わってくる。このホテルは昔、警視庁経営の半蔵門会館の跡地に建てられた。当時の館長は警視庁の警邏部長を務めた今は亡き三沢由之君であった。よくこの会館で幹事会など会合を開いたものだ。最後の会合をここで開くのも何らかの因縁を感じる。

 2部の記念行事に移る。プロジェクターによるプレゼンテーション「59会のあゆみ」。説明を清水廉君と田中長君が担当する。会場の大きな白い垂れ幕映し出された写真は38枚。入校から敗戦までと59会の戦後の活動を追う。昭和天皇の予科行幸(昭和18年12月9日)。「花も実もあり血も涙もある武人たれ」と説いた牧野四郎校長が大写しされる。予科食堂、雄叫神社、服装検査、学科風景、遊泳演習、各兵科の訓練風景、練習機「ユングマン」など「よく学びよく鍛えられた」昔が懐かしく思い出される。戦後編には第一回の本部幹事会のメンバーの写真、佐久に「59期生の遥拝跡の碑」を建立された依田英房翁、各地区の59会の集まり,温春飛行場跡、日本寮歌祭、相武台にある『在校記念碑』、自衛隊訓練見学などなど・・・

 「大会賛歌」。はじめはGO−GOプラザーズによる『思いは遠く』(作詞・日野宣也、作曲・渡辺茂)。日野君は昭和20年7月24日満州・平安鎮飛行場で訓練中同期生竹内清君が操縦する飛行機と接触、墜落、殉職した。二人だけが59期生の中で少尉に任官している。今回、別所末一君らの強い要望で歌われることになった。歌うは青木達雄、飯田忠二郎、遠藤司、小田暁、河部康男の5君。指揮は矢島千鶴子さん。両親や戦友を思う心情が我々の心に響く。常連の植竹与志雄君の姿がないのが寂しい。聞けば体調を悪くしているという。「昭和幻想」(作詞・田浦浩、作曲・双葉あきら)。田浦君と国分リン(登山家)のデュエット。2年前の首都圏大会で歌い、好評を博した異色のコンビである。詩も曲も聞かせる。「ああ戦友」(作詞・柴田よしかず、作曲・豊田あつし)。広野恵三君がGO−GOブラザーズの3人のバックコーラスで堂々と歌う。しんみりした調べであった。この後宴会に移り午後2時過ぎ大会の幕を閉じた。