2013年(平成25年)6月10日号

No.576

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山と私

(98) 国分 リン

― ガネッシュ&マナスル・ヒマール展望トレッキング10日間 ―  

 東西にのびる大ヒマラヤ山脈は約2,400Kmあり、ネパール・ヒマラヤはそのなかの3分の1、800Km余りあって、核心地帯に位置する。「世界で最も美しい谷」と称されたランタンは他のエリアに比べて緑が濃く、夏には高山植物が咲く美しい草原が広がる同じ地域で、トレッカーが少ないタマン ヘリテイジ トレックが今回のネパール行の場所である。

 ゴーキョピーク5,300mの旅から7年、10日間でネパール、ラリグラスと山の展望が楽しめるトレッキングをスポニチ登山学校講師の岩崎洋先生にお願いしたら、絶対行きたい企画が届き、友を誘い、登山学校卒業生Uさん、Nさん、その友のTさんと私の4人で出発となった。もちろん岩崎先生のガイドである。「風の旅行社」での説明会で、「この旅は岩崎先生だから出来る企画で、現地の人にしか会わないですよ。秘境です。」私は期待に胸をときめかせた。

 4月20日(土)大きなトランクがあるため、日暮里までタクシーで行き30分で着き、京成スカイライナーで26分、8時に成田へ到着。Uさんと会い安心。10時55分発キャセイパシフィック航空で4時間55分の飛行時間で14時50分(時差約1時間)に香港空港到着。広い空港の中を端から端まで歩いて、カトマンズ行きのゲートに着いたが、待ち時間が3時間余もあった。岩崎先生がここで必ず食べるお気に入り「ワンタンメン」を皆で食べ、美味しかった。ドラゴン航空で19時5分出港。
 カトマンズ空港へ22時10分(時差3時間15分)荷物を受け取り大勢の出迎えの中から現地サーダのスリヤ氏(タマン族)を見つけ、車に荷物を積み、ホテル マーシャンディに、23時10分到着。Uさんと同室で荷物を分類してそうそうに休む。

 4月21日(日)5時30分赤いダッフルバックにこれからのトレッキングに必要なものを入れ、着替えや不必要なものを入れたトランクを室外に置き、6時に朝食、パロンタ(ナンに挽肉等を挟んだ物)に辛いアジョール(漬物)が美味しかった。7時ホテルから混雑する道を大通りに出て、今日の長旅をするバスへ着いた。屋根にまで荷物を積み、窓も割れているようだが、命預ける覚悟で乗った。5人のお客にスリヤサーダ、フォルバ、ニマの3人、キッチン関係がコック始め5人、ポーターが7人の総勢20名に、運転手と助手で出発。信号も何もないきれいとはいえない道路、警笛を鳴らしながら抜いていく。通勤バスなのか物凄い人数を載せて走り、または屋根の上まで人を乗せ走っている。見るだけで怖い。11時30分昼食をバッティでカトマンズの日本料理「ふるさと」のお握り弁当だが、食が進まない。ご当地のバナナが出てこれは食べた。岩崎先生は現地のダルバート(豆スープカレー)を旨そうに右手だけで食べていた。「これが食べたいためにネパールに来ます。」13時グンチェ国立公園入口で、検問と兵隊がバスに乗込み、検閲をした。なぜと疑問がわき聞くと、中国領土が近いためらしい。そこからは段々畑が広がる林道でまだ舗装もされていない道、途中バスが立ち往生したりしたが、17時に今夜のテント場ゴテン(2550m)へ到着。約10時間バスに揺られた。村の子供たちの写真を撮り、夕焼けの山を観たら疲れも忘れた。 

 4月22日(月)温かい洗面用のお湯が配られ、コップに並々の温かい紅茶でテントの朝の目覚め、爽やかに起き、おかゆが旨い朝食に満足し、7時ストレッチをして、いよいよトレッキング開始。山道に入ったら、牛の群れに遭いびっくり、まだまだ上部にカルカ(牛の放牧地)がたくさんあると聞く。1時間ほど登ると、大きなラリグラスの赤とピンクの花がある広場へ、ここもカルカらしい。皆と写真タイムを取り、また登りだした。次々とラリグラスの花を見つけては歓声を挙げていた。ふと地面にじゅうたんのように敷き詰められた赤い花びらに思わず記念撮影。11時にサンドイッチと卵にみかんの昼食を食べ、レモンティを貰い満足。ここからが驚いたことは、国立公園なのに樹林帯に火をつけ焼け焦げた森が広がっていた。「山火事なの。」と聞いたら、牛の放牧地を広げるために、火を放ったという。大きく育った樹木の焼け焦げた姿は無残で、言葉にならなかった。
 天気が悪くなり、雪が降ってきた。登り斜面は10pの積雪があった。クルッパダ パンジャ(峠)3620mへ、雪山は始めてのTさん、大変そうだったが、フォルバ達の助けを借り、14時峠へ到着。風も強く見晴らしも無いのですぐ下山。サーダのスリヤ氏と岩崎先生が「この時期に雪が積もるのは珍しい。軽アイゼンを用意すべきだった。」直接の山道は避け、距離は長いが車道を歩き、先に目的地のソムダン(3270m)にポーター達が張った黄色のテントを見た時はほっとした。10時間の行程は長い。この場所は岩崎先生が前回通過したときに、一人でこのロッジを建てていてその様子を写真に写し、今回お土産に持参したが、その本人はカタールへ3年前出稼ぎに行き、まだ帰らないと、奥さんと子供と祖父母と、奥さんの妹が手伝っていた。手造りとは思えない立派な建物で、トイレもきれいだ。夕食は、そのロッジの食堂で、岩崎先生がコックに教えた煮物や餃子や温野菜のサラダなど食べきれない料理で満足。「先生、明日は積雪のナルチェット・カルカ(3850m)まで登るのは止めたい。私達4人、平均齢72才は、無理せず、楽しい旅にしたい。」「分かりました。サーダと相談して連絡します。」

 4月23日(火)今日はソムダンに連泊することになり、ゆっくりの出発、河原沿いの道をゆっくり楽しんで登る。対岸はいくつもの滝が白く長く流れ落ちていた。気分がゆったりして河原の傍のパイグタン・カルカ(3540m)で、コックがお湯を沸かし、紅茶を頂き、岩崎先生が餅を焼き、お汁粉に満足する。が、にわか雨になり、牛使いが食事を作る台所の横に昼食処を作って貰い、毎日お姫様気分。その帰りラリグラスの花園に迷い込む。
 「行者にんにくを摘んでいきましょう。」まだ若い芽をスリヤやコックたちとあっという間に袋一杯ロッジの家族にもお土産になった。 午後2時過ぎにはソムダンに戻り、ロッジのストーブの周りに皆で集まりおせんべいでお茶タイム。妹が、学校が試験休みで手伝いに来ていると話を聞く。サーダがネパール国歌の「レッサム フィリリ」のプリントを皆に渡し、歌を習い、家族たちも皆で歌う。音楽に国境はないと感じた。また夕方にザーッと雨が降ってきた。やはり最初の計画のナルチェット・カルカ(3850m)へ登らなかったのは良かったと思った。でもマナスルやP-29の眺望が出来ないのは、私にとってこの旅の目的の一つだったので残念だった。が、臨機応変にスケジュールを変えてくれたお蔭でラリグラスの花園に出会えたのだから。