2013年(平成25年)4月20日号

No.571

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

山と私

(96) 国分 リン

― 始めてのスノーシューイング「森吉山・秋田駒ヶ岳」 ―  

 秋田県のほぼ中央に位置するブナの原生林に覆われた標高1454mの森吉山、調べると阿仁スキー場のゴンドラで山頂駅1167mから2時間半で登ることができ、樹氷も楽しめることで、計画を立てた。
田沢湖の水沢温泉郷にあるペンション「クライマー」へ宿をお願いし、秋田の山を知り尽くしている宿の主S氏に「車で阿仁スキー場へ行き、森吉山を案内してください。」とお願いしたら、「案内するよ。スノーシューはあるか。」「無いので、貸してもらえますか。」「うちの貸すよ。」15日半休をとり、田沢湖高原へ17時到着。夕焼けの秋田駒は素晴らしかった。
  

 3月16日、前日の青空と違い、天気予報も60%雨模様、5時半に朝食、お弁当を貰い、6時S氏の車で出発。田沢湖の半周位から秋田内陸鉄道沿いの道に入るが、きれいに除雪されている。やたら落雪注意の看板が目に入り緊張する。すれ違う車も信号も無く、1時間も走ったころ阿仁マタギの里の看板が見え、阿仁スキー場入口の矢印に沿い林道へ入ると、次々と名前の付いた橋を渡る。それだけ数多くの支流が山から流れ、阿仁川から米代川へ合流し、日本海へとS氏から聞く。9時過ぎに阿仁スキー場へ着き、スノーシューと靴を合わせ、準備をしてゴンドラへ乗った。「こんな山奥のスキー場に来る人がいるの。」S氏の答は「バブル期に西部系が開発し、ゴンドラ・リフト設備をしてスキー場にしたが、計画通りに集客できず森吉スキー場は閉鎖され、この阿仁スキー場も赤字ながら地元で運営している。あまりに遠いよね。」「だから山の雑誌で、夏もゴンドラで高山植物の宝庫の森吉山へと宣伝するのね。」相変わらずのガスの中、景色も見えず、15分で山頂駅到着。山頂駅でS氏の山ボランティア仲間2人の男性と偶然に会い、同行することになった。10日で樹氷祭も終わり、ポールも案内もなく、ホワイトアウト状態では遭難しそうである。少し登るとリフトの終点があり、スキーヤーはと探すが誰も居ない。ここでスノーシューを履くと歩きやすくなり、樹氷を探した。面白い形のものも見つけたが、私は蔵王や八甲田の樹氷群を見ているので物足りないし、時期も天気も悪かった。樹氷コースを一周し、森吉山を目指す。そこへガイドと10人の山スキー連が一緒になったが、別コースへ消えた。少し歩くと分岐のポールが立っていた。「ここが石森山、これから稜線歩きだ。」その頃から風が強くなり、「予報では
頂上付近は風速20mで、飛ばされる危険があるから今回はここまで。」それに雪も強くなった。冷たい風雪が頬を叩く。下りは速い。S氏が「もしもの時ば、樹氷の穴ば入っと温っけ。」スノーシューを履いているので埋まらず樹氷の中へ潜ると温かかった。山頂駅の隣に避難小屋があり、11時に戻り、そこで昼食をとり、実はエーデルワイスクラブの仲間を待った。友が同じ日に森吉山に来るのを聞き、S氏も仲間がガイドするのを聞いていた。11時半頃6人の女性がゴンドラで上がり、スノーシューを履いていた。「こんにちは。」「なかなか履けないから手伝って。」「了解。」風雪の中、ガイドさんの後から出発した。ますますお天気が悪くなってきた。ゴンドラで降りたときに、ひどい雨になった。「上は大丈夫かな。でもガイド氏と一緒だから。」車に乗りマタギの里の道の駅に寄った。熊の肉・鹿の肉がたくさん売っていた。S氏が馬肉の味噌煮と、私は熊の油を求めて、15時ペンション「クライマー」へ戻った。お天気が悪く、折角の初めての森吉山は残念でたまらなく、未消化な気分だった。S氏がアルバムを出し、20年前初めてお世話になった時の写真を見せてくれた。「みんな若いね。」「あの時の感激が忘れられない。私が山へ取りつかれた22年、あの感激を忘れられないから。」とS氏へ話した。

 3月17日(日)すっきりと晴れ渡り、宿から秋田駒も田沢湖も見える。昨日の天候と変えてほしいと思うが、これだけは無理。S氏に相談すると「スノーシューで秋田駒を目指せば。コースも分かりやすいし、山頂と景色を眺めながら歩くと気持ちが良いよ。」「スノーシューの練習もできるね。」車でアルパこまくさ(夏の秋田駒への車規制のため、バス停のある公共の温泉施設)へ行き、雪片づけでできた壁の横から上がりスノーシューを履き、前方に数人の姿が見え、9時出発。気持ちの良い青空の下、田沢湖の全てを眼下に見下ろし、キラキラ輝く秋田駒の姿を頭上に見てのスノーシューイングはとても感動的で疲れも感じなかった。誰も歩いていない雪原に自分の足跡を残す。子供のころに雪に仰向けに自分の姿を描いたことを思い出し、ドーンと倒れ青空を真上に見た。全身が青空に染まり幸せだ。
雪上車がお客をたくさん載せて、あっという間に追い抜いていった。これが1日3便の8合目避難小屋へ向けて運転されていた。その後をゆっくり楽しんで登っていくと、ブナの木が桜の花を咲かせているように連なって樹氷林になっていた。「うわー、きれいだ。」思わず叫んでいた。しばらく佇んだ。
 先ほど追い抜いた雪上車が戻ってきた。我に返り、そうだ戻らなくては、残念ながらここまで、と自分に言い聞かせて、今回の森吉山と秋田駒山遊は終った。

 S氏に感謝と、7月に山の花の仲間を高山植物の群落へ特別案内をお願いして、終わった。