2013年(平成25年)4月1日号

No.569

銀座一丁目新聞

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茶説

映画「愛、アムール」が描く在宅介護

   牧念人 悠々 

 ミヒャエル・ハネフ監督・脚本の映画「愛、アムール」の冒頭に登場するのはシューベルトの即興曲・作品90−1ハ短調。出だしのメロデーが心地よい。舞台のピアニストの姿はなく、演奏を聴きいる観客席のみが大写しされる。作品90には4番まである。監督が単独でしばしば演奏される、悲壮な旋律の4番でなく、抒情的な1番を流すのは絶妙である。1番の自由に展開されるバラードに観客は寂しさと孤独をひしひしと感ぜずにはおかない。パリ都心のアパートに住む老夫婦、ともに音楽家。この夜は著名な演奏家に成長した教え子の演奏会に満足する。「今夜の君はきれいだったよ」夫は言う。この老夫婦に悲劇が訪れる。妻が発病して手術を受けるのだが5パーセントの失敗しかないといわれていたのにそのうちの1パーセントに入る。右身半身不随となり車いす生活を余儀なくされる。医者嫌いの彼女は「二度と病院には戻さないでください」という。彼女は自宅療養と在宅介護を選んだ。その形は様々だと思う。老老介護は特に悲劇を生む。どちらも疲れ果てる。ついには病人を殺してしまう。この映画でも夫は辛抱強く介護する。食事の世話、トイレの面倒至れり尽くせりである。水を飲まない妻をたたいてしまう。妻を生かしたいと思う夫の暴力である。妻は「もう終わりにしたい」と漏らす。最後に苦しむ妻を見かねて布団で殺してしまう。明らかに老々介護の失敗である。新聞は「老いても美しい夫婦愛が描かれている」といい、「感動した映画だ」とも評される。たしかに二人の名優の演技は真に迫る。監督は老々介護の無残さをこまやかな夫婦愛の仲で描。く2012年カンヌ国際映画祭のパルムドームを獲得した作品だけはある。だが、騙されてはならない。終末期に人間の尊厳が損なわれたのだ。老いた夫婦の願いは「安らかな死」である。それがかなわなかった。お医者さんの長尾和宏さんは「在宅療養は究極の愛である」と言っているが果たしてそうなのか疑問である。自宅にしろ老人ホームにしろ病院でも要は老いた夫婦がどちらも「安らかな死」を迎えたらいいだけである。「究極の愛」を決めるのは私たち自身である。私は延命処置を拒否する。いずれにしてもショパンのピアノ協奏曲1番ホ短調作品11番を聞いて死にたい。