2012年(平成24年)10月10日号

No.552

銀座一丁目新聞

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山と私

(90) 国分 リン

― 国立公園第一号「大雪山」黒岳から旭岳 ―  

 2003年北海道新聞社創立60年周年記念に出版された大雪山の自然の第2巻 高山植物と第3巻 動物・昆虫の写真集を度々見ていた。北海道の屋根とよばれる大雪山は、ひとつの山の名称ではなく、北海道の中央高地を形づくる山々の集まりを指している。アイヌの人々は石狩川源流域に立つ大雪山の山々を、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)と美しく表現していると書き、1934年に国立公園に指定され、総面積は神奈川県とほぼ同じ約23万fの広さである。

 日本でもっとも早く初雪が降る大雪山は、当然のことながら日本でもっとも早く紅葉が始まる場所である。例年8月下旬頃から紅葉と黄葉が始まるが、ピークは9月15日頃である。と書かれていて、10年前の同時期、北海道の社員旅行は紅葉が素晴らしく、次週彼岸には初雪のニュースを鮮明に覚えていた。もう一度大雪山の紅葉に身を委ねたいと思い、片平先生にガイドをお願いした。
ところが異常気象が北海道の夏も例に漏れず暑さが続き、層雲峡に着いた15日に、10日以上も紅葉が遅れていると聞き、がっかりした。

 9月16日曇り 6時始発の黒岳ロープウエー(600m)に一番に乗り込んだ。時々青空も見え期待した。
 7分ほどで5合目に着き、リフトで7合目(1510m)に到着。リフトから次々と見えたエゾリンドウの群落と白花は見事であったが、ぽつぽつと雨が落ちてきた。7合目の登山事務所で雨具をつけ、朝食を済ませ、登山届を提出した。6時50分にいざ出発。
 いきなりの急登を登る。標高差約500m朝一番の登りは辛いが、景色が見えないのが、尚辛い。若者たちに道を譲りながらマイペースで登り、最後の急登を喘ぎ登ると、黒岳1984mに8時40分到着。大勢の登山客が居る場所はガスで何も見えず、また雨と風が強くなり、急いで黒岳石室避難小屋へ向け歩を進めた。時折ザーザーと雨が強くなり、管理人に断わり少し中で休んでいると、あちこちで相談する声がした。「どうしますか。縦走を続けますか。」「私は体調が良いので5時間ぐらいなら余裕で歩けます。」「それなら縦走を続けますね。」「よろしくお願いいたします。」雨は弱まり風も飛ばされそうに強くなくお鉢平の展望台に着いた頃は少し景色も見せてくれ、振り返ると黒岳の姿も見えた。お鉢平は火山の噴火と陥没によりできた独特のカルデラ地形で、約2キロの広さに驚く。これから少しは良くなるかなと期待して登り始めると、また容赦なく風が出て、北海道2番目に高い北鎮岳2244mへ20分で登れる分岐では前後に歩いていた5人組と3人組は撤退した。北鎮岳は登らず先を急いだ。すぐに中岳2113m11時到着。周りは荒涼とした姿しか見せず。また先を急ぐと、旭岳を登らず,裾合平から姿見駅(ロープウェイ)の分岐を11時30分通過、後からのパーテイは裾合平へ向かい、後ろは誰も居ない。黒岳からここまでは標高差が少ない稜線歩きで、間宮岳2185m12時に着いた。余談になるが大雪山では江戸末期から明治、大正の開拓期に関わった人名がついた山も多い。松田岳(石狩川や忠別川源流を和人としてはじめて踏査した松田市太郎)、松浦岳(幕末の探検家松浦武四郎)、間宮岳(石狩川源流や間宮海峡を踏査した間宮林蔵)、桂月岳(「大雪山に登って山岳の大きさを知れ」と記した大正の文人大町桂月)、荒井岳(1924年に発足した大雪山調査会の会長・荒井初一)、小泉岳(植物学者の小泉秀雄)から命名されている。      

                                            
 間宮岳から少し下って風除けになる大きな岩の蔭でお弁当を食べ、熱いお茶を飲み、一休み。「さあ、これから最後の旭岳へのガレ場の登りですよ。」「はい。慎重に登ります。よろしくお願いします。」「ここは道迷いも多いと地図に書いてあります。」太い黄色のペンキの目印を一つずつ追いながら、歩幅を狭くかかとをしっかりつけて登る。転んだら急斜面を転げ落ちてしまうような急な登りである。片平先生の歩きとコースを追いながら一歩一歩登る。前後左右を見ても同じようなガレ場の急登である。ふと上を見ると標識が見えた。登れた。北海道最高峰・旭岳(2290m)13時到着。コースタイム通りでほっとする。風雨が容赦なく顔を叩く。頂上は周囲の景色を隠し、誰も居ず寂しく、ヒューヒューと鳴く風の音だけ。3連休、中日の13時の光景だ。この頂上もすぐに下山。9合目までの急坂を慎重に歩き、登山道の右の地獄谷に面した金庫岩を通りどんどんとひたすら下ると8合目、この辺から登ってくる人たちとすれ違う。この登りは大変だなと思いながらも、景色の見えない中をひたすら下り、やっと姿見の池の不思議な色が見え、賑やかな声が聞こえた。雨は止んだが、景色はガスの中この天気では観光客も可哀想。姿見の池に14時30分に着き、片平先生に感謝のお礼と、握手をして雨の中の縦走が終わった。

 9月15日と17日は快晴、風雨の中の山行続行は、片平先生のガイドを絶対的に信頼し、コースも経験済みであり、緊張の連続であったが、体調も良く、余裕があり縦走ができた。
 今度は絶対北海道の高山植物に会いにこよう。