特捜部の"照る日、曇る日"
佐々木 叶

 東京地検特捜部が、マスコミの脚光を浴びている。11月10日が創部50周年とかで、どの新聞もテレビも、デカデカと特集を組んだ。最近の金融、証券など、大企業の総会屋事件で、特捜部の"株"が上がったことは否めない。たしかにリクルート、ゼネコン、それに総会屋と、近年の東京地検特捜部の活躍ぶりには、目を見張るものがある。だが、「巨悪は眠らせない」といった元検事総長、伊藤栄樹氏(故人)の言葉が、何のためらいもなくマスコミに引用されているのには、いささか疑問を抱く。

 特捜部にも、"照る日、曇る日"があったことを忘れてはならない。数年前の金丸信代議士の5億円献金事件では、なぜか強制捜査を見合わせ、略式起訴。激しい検察批判を浴びて、のちに脱税事件として逮捕したものの、検察不信は残った。74年の石油ヤミカルテル事件は、伊藤栄樹氏自身が、東京地検次席として捜査指揮をとり、石油連盟と元売り12社を摘発したが、すべて任意捜査。狂乱物価を招いた石油会社の社長連は、だれ一人逮捕されなかった。当時、検事仲間では「見事なソフトタッチ」と皮肉るものもいた。「捜査は任意が建前」とはいえ、任意捜査では巨悪は倒せない。

 67年、特捜部は、造船疑獄で鬼検事といわれた河井信太郎氏を迎え、「百年に一度」という超大型事件の内偵に取り組んでいた。当時の産業投資特別会計(財政投融資)にからむ自民党へのリベート疑惑であった。内偵の狙いは、石油、建設業界と佐藤栄作氏(のち首相)に絞られていた。「自民党の天下は崩れる」との声もあった。だが、内偵6ヵ月、当時の最高検、馬場義続検事総長は「現下の国際情勢に鑑み…」との政治判断で捜査の中断を命じ、「百年に一度」の大事件は幻(まぼろし)に終った。逆に情報源の田中彰冶氏が数年後、虎の門国有地事件で逮捕された。

 「特捜部50年」。その歴史にも、さまざまな時代の影が刻みこまれているのである。 


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