「男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花[特別編]」

大竹 洋子

1997年作品/ドルビー・ステレオ/シネマスコープ/カラー/106分
原作・脚本・監督 山田洋次
撮影 高羽哲夫
美術 出川三男
音楽 山本直純
出演 渥美清、倍賞千恵子、吉岡秀隆、笠智衆、前田吟、浅丘ルリ子ほか

  「男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花[特別編]」をみて、すっかり感激してしまった。山田洋次監督が48本の寅さんシリーズ中、もっともお気に入りの1本をリニューアルしたものである。作品の前後に、甥の満男クンが「この頃しばらく会っていないけれど、伯父さんはどうしているかなあ」と、寅さんに思いを馳せるシーンがついて、あとは「ハイビスカスの花」(1980年、第25作)がそのまま映し出される。

 違っているのは主題歌を八代亜紀が歌っていること、サウンドをドルビー・ステレオ・システムにし、音楽も新たに作曲し直していることである。そして旅先の満男クンが寅さんを思うシーンは、コンピュータ・グラフィックを駆使し、駅のプラットフォームの向こうに、寅さんが一瞬現われるという特殊技術の効果が、もう一度寅さんに会いたいという、スタッフの並々ならぬ気持ちを反映している。

 これはリメイクではなく、かつて上映された本物の寅さんの映画である。ところが、渥美清さんが亡くなって、誰か渥美さんによく似た他の俳優が寅さんに扮し、それを常連の人々が盛り立てているような、そんな錯覚に私はしばしばおちいった。それほど周囲の俳優さんたちが、渥美さんを大切に思い、心をこめて演技をしていることに、私は初めて気がついたのだ。毎回楽しめにみていたけれど、こんなに密度の高い作品だったのかと。

 だが、中心にいるのはまぎれもない本物の寅さんである。私たち観客は寅さんの一挙手一投足を、どんな表情をも見逃したくないと食い入るようにみつめ、待ってましたと声をあげて笑い、最後にはやっぱりしみじみと泣いた。カルメンの衣裳のような黄色いドレスをつけた浅丘ルリ子のリリーが、地方の町でバスを待っている寅さんの前に現れる。「おや、どこのおねえさんでしたっけ」「いやですよ、こんないい女がほかにいますか」というような二人のやりとりをみながら、人間が死ぬ、肉体が滅びてこの世に存在しなくなる、という事実を私は噛みしめていたのである。

 それにしても、夏の沖縄を舞台にしたこの「ハイビスカスの花」はすぐれて素晴らしく、おかしい。入院したリリーを見舞おうと寅さんは美人のスチュワーデスにつられて苦手の飛行機もなんのその、那覇までやってくる。カンカン照りの道を歩く寅さんは、日陰を探すけれどなかなかみつからない。ようやく電柱の細い細いカゲをみつけた寅さんが、身をよじるようにしてそこに飛びこむシーンは大爆笑である。三日三晩、飲まず食わずで柴又にたどりついた寅さんは、割箸の紙袋もそのままにウナ丼にかぶりつく。山田洋次さんという人は、一体どういう人なのかと考えこんでしまうほどである。

 いつか、ポルトガルで「寅さん」を上映したことがあった。日本人は経済のことにしか関心がないと思っていたけれど、こんな怠け者もいたのですか。まるでわれわれと同じだと、ポルトガルの人たちが大喜びをしていた。外国人に、寅さんの面白さが本当にわかるのかどうかは難しいところである。字幕をつけるのもひと苦労であろう。しかし、その国の民衆が真に愛する映画は、やはり理解されるであろうし、映画はそのような役目をはたすことができると私は信じている。

 1969年から96年までの27年間に、48本の寅さんシリーズが生まれ、96年のお正月作品「男はつらいよ・寅次郎紅の花」を最後に、寅さんは観客の前から姿を消した。というより飄然と長い旅路についた。一貫して車寅次郎こと寅さんを演じた俳優、渥美清さんがその生涯を閉じたのである。この30年に及ぶ歳月の中で、寅さんの映画をみるのはなんと楽しみなことだったろうか。渥美清さんは、そんな私たちの期待に応えるために、他の仕事にはほとんどつくことなく、ひたすら寅さんに扮しつづけた。病に蝕まれ、だんだんにその小さな眼の光が弱くなっても、力をふりしぼって観客を笑わせ、胸をじんとさせてくれた。寅さんはウィーンに行ったことがある。でも中国にも行ってもらいたかったし、キューバでサルサも踊ってもらいたかった。「あばよ」とばかり、空の彼方に行ってしまった渥美清さんを、師走の人波の中でしきりに思う。撮影の高羽哲夫さんも既にこの世になく、御前さまの笠智衆さんも亡くなって久しい。

全国松竹系映画館で上映中

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