小さな個人美術館の旅(21)
マリー・ローランサン美術館
星 瑠璃子(エッセイスト)

 思わず歓声を上げた。中央高速道を諏訪インターで下りて蓼科へ向かうビーナスラインの真正面に、雪を被った八ヶ岳が晩秋の陽を浴びてくっきりと姿を現したのだ。北風がさっきまでの厚い雲を吹きはらったのだろうか。その後は小さな叫び声をあげっ放しだった。峰々は彫り深く刻まれた山肌をえもいわれぬ色に輝やかせ、背後から斜めに射してくるオレンジ色を帯びた明るい夕日が、道の両側のカラ松林を金色に染めている。そんな道を上がっていったところ、蓼科湖を望む三万坪の敷地に建つアートランド・ホテル蓼科のなかに美術館はあった。実業家高野将弘氏が収集してきた作品を一般公開するためにつくったローランサンの個人美術館である。

 マリー・ローランサン。私はその名を一体いつ知ったのだったろう。パリで生まれ、今世紀初めから半ばにかけてピカソやブラックやアンリ・ルソー、アポリネールらとともにパリで活躍し、パリで死んだこの美しいフランスの女流画家の名はあまりに有名すぎて、いつどこで覚えたのかさえ思い出せない。けれどもここへ来て、私ははじめてこの人に出会った、という気がした。

 広々とした館内はおよそ三つのブロックに分かれている。湖に面した庭園に向かって張り出したバルコニーが大きなガラス越しにゆったりと広がるロビーを通って進むと、その先中央が時代を追って作品が並ぶいわばメイン展示室。その奥に版画などを展示するこれまた広やかな第二展示室。ロビーを入ってすぐの右手、一段下がったところにあるのは企画展示室で、この日は舞台美術の分野での作品、「『牝鹿』の時代――ローランサン、舞台美術へ」の展示が行われていた。

マリー・ローランサン美術館

 「牝鹿」は、ディアギレフ率いるロシア・バレエの舞台だ。コクトーの脚本、プーランクの音楽、振付け・主演はニジンスカ、そして舞台と衣装をローランサンが担当した。粋でスマートでしかも何とも豪華な顔触れは、その名を聞いただけで二十年代のパリを髣髴とさせるではないか。しかもその舞台装置原画の優雅さときたら!ローランサンがこの企画の依頼を受けたのは1923年。ドイツの貴族オットー・フオン・ベッチェンと離婚してパリに戻ってきた翌々年だった。

 ところでこの結婚は、年譜でみるとずいぶん唐突な感じがする。アポリネールとの長い熱烈な恋に終止符を打って、前年知り合ったばかりのフオン・ベッチェンと突然結婚してしまったのだから。しかも新婚旅行中に第一次世界大戦が勃発、敵国同士になってしまったフランスにもドイツにもいられなくなってスペインに亡命した二人は、大戦が終了するのを待ちかねていたように離婚してしまう。いっぽうアポリネールはといえば、出陣して受けた傷がもとで、ようやく戦争が終わるというその年に死んでしまった。

 マリー・ローランサンは1883年のパリ生まれ。父は代議士だったが、両親が正式の結婚をしていなかったため「私生児」として優雅だが冷たい母のもとでひっそりと育った。高校在学中から磁器の絵付けの講習に通ったりデッサンに熱中したりしていたが、卒業すると画塾アカデミー・アンベールに入り、そこでジョルジュ・ブラックに出会う。ブラックの紹介でピカソを知り、彼を中心にモンマルトルの「洗濯船」に集まった芸術家たちの仲間入りをした。アポリネールとはピカソの紹介で知り合ったのだが、二人はたちまち恋に落ちた。ローランサンの才能をいち早く見抜いたこの不生出の詩人は、まだ無名の画学生に過ぎなかったマリーを強烈に後押しし、キュビストの一員として位置づけていったことはよく知られている。そのアポリネールがローランサンと別れた後に作った詩が、あのあまりにも有名な「ミラボー橋」だ。

 数年の間に父を失い、片時も離れて暮らすことのなかった母を失い、恋人とも別れてしまった「天涯孤独」のマリーは、ついには夫とも訣別してパリに戻ってきた。そしてそれからの三十四年間を、第二次世界大戦中も大好きなパリに住んで1956年、七十三歳で没した。遺体は遺言にしたがって純白のドレスに包まれ、手には一輪の薔薇、胸にはアポリネールからの手紙の束がのせられたという。

マリー・ローランサン美術館

 いまこの美術館で、じっくりとその足跡を辿ってゆくと、ローランサンの「孤独」がよく分かる。あの時代に、キュビストやフオービストの中にいながら彼らとは一線を劃し、たった一人で生き描いていった、自由で軽やかでしかもしみとおるような孤独が。絵の中の、狐のようにとがって鋭い目をしたちょっとくすんだ色の女の顔が、やがてふっくらと丸みを帯びて透き通るような白さに変り、薔薇色とグレイが基調だった色彩にブルーやグリーンや紫やレモン色が加わってくる。絶筆といわれる「三人の若い女」は、それらが渾然一体となった、これはもう天上の音楽としか表現できないような絵だ。

 次に掲げるのは、死の年に、ローランサンが自身のことをうたった一編の詩。

 彼女のことを人はいろいろ語るでしょう
 でも だれにも言えるはずはない
 彼女がどれほどしずけさを 愛したか
 簡素な暮しを
 そっと閉められる扉を
 巧みな すばやいしぐさを
 ゆっくりとしたしぐさを
 そして本を
 先生たちや 偶然や 時間を どれほど愛したか
 どうぞ死なせてください……
 おお 愛されぬことの至福……
         (工藤庸子訳)

 住 所 長野県茅野市蓼科高原4035 TEL 0266-67-2626
 交 通 中央線茅野駅下車 蓼科温泉行きバスでマリー・ローランサン美術館前下車
     車の場合は中央自動車道諏訪インターより20分
 休館日 年中無休

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

 東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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